2020年2月13日木曜日

 今日は午前中は雨が降ったが、昼頃から日が射してくると一気に暖かくなった。
 それでは「守武独吟俳諧百韻」の続き。挙句まで。

 名残裏。
 九十三句目。

   今年十六身にやしむらん
 乙女子をとらへてとへば秋の暮 守武

 十六歳は今だったらロリだが室町時代にはやや行き遅れの年齢。当時は十三歳くらいが結婚適齢期だった。十六でもはや秋の暮。
 九十四句目。

   乙女子をとらへてとへば秋の暮
 盗人なりとながめやるそら   守武

 宗鑑編の『新撰犬筑波集』に、

   きりたくもありきりたくもなし
 盗人を捕らえて見れば我が子なり

の句があり、似ている。『新撰犬筑波集』はウィキペディアには「大永四年(一五二四年)以降の成立」とあるから、読んだ可能性はある。
 ただここでは我が子とは限らない。ただ、意外な犯人というネタか。
 『連歌俳諧集』の注は『伊勢物語』六段や十二段の略奪婚のととする。この場合は恋になる。
 九十五句目。

   盗人なりとながめやるそら
 物をなど雲のはたての取りぬらん 守武

 「雲の果たて」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 「《「くものはだて」とも》
 1 雲の果て。空の果て。
「都をば天つ空とも聞かざりき何眺むらむ―を」〈新古今・羇旅〉
 2 《「はたて」を「旗手」の意に解して》雲のたなびくさまを旗がなびくのに見立てていう語。
 「吹く風に―はとどむともいかが頼まむ人の心は」〈拾遺・恋四〉
 [補説]書名別項。→雲の涯(はたて)」

とある。
 この場合の「物」は心とか魂とかの意味で、空の果てを眺めていると心が盗まれてゆくようだという意味。

 夕暮れは雲のはたてに物ぞ思ふ
      天つ空なる人を恋ふとて
            よみ人知らず(古今集)
 都をば天つ空とも聞かざりき
     何ながむらむ雲のはたてを
             宜秋門院丹後(新古今集)

のように、雲の果たては恋にも羇旅にも詠む。
 九十六句目。

   物をなど雲のはたての取りぬらん
 あらあらにくのことやささがに 守武

 物を取ったのは雲ではなくささがに(蜘蛛)だった。とんだ「くも」違い。
 「あらあらにく」は「あらあら憎き」の略。平安時代から形容詞の終止語尾は口語では省略される。今日でも「やばっ」「きもっ」「ちかっ」など口語ではしばしば語尾の「い」を省略する。
 九十七句目。

   あらあらにくのことやささがに
 かり初も毒をのみてはいたづらに 守武

 日本の毒蜘蛛の多くは外来種だが、在来種でもカバキコマチグモのような毒蜘蛛がいる。今日では刺されても死ぬことはないが、昔はどうだったかはわからない。
 九十八句目。

   かり初も毒をのみてはいたづらに
 金のはくは薄やたづねよ    守武

 「金(こがね)のはく」は金箔。薄やは薄屋でコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 金・銀などの箔を製造し、または販売する人。また、その店。箔打ち。〔日葡辞書(1603‐04)〕
 ※俳諧・誹諧独吟集(1666)上「かり初も毒をのみてはいたづらに 金のはくは薄屋たづねよ」

とある。この守武独吟は重徳編『俳諧独吟集』(寛文六年刊)にも収められている。
 金箔は今日でも食品に用いられるが、昔は銅の混じった純度の低い金が多く、これを飲むと中毒を起す。
 九十九句目。

   金のはくは薄やたづねよ
 とがするは花見のはれの腰刀  守武

 江戸時代の俳諧に描かれる庶民の花見ではなく、宮廷や大名クラスの花見であろう。腰の刀はきれいに研ぎなおし、鞘には金箔を貼って箔を付けたいものだ。
 江戸時代になると花見は庶民のもので、武士はそういう所に行くものではないとされていたが、そうはいっても庶民の花見に混ざるものはいた。ただ、刀を挿していると浮いてしまう。

 何事ぞ花みる人の長刀     去来

ということになる。
 挙句。

   とがするは花見のはれの腰刀
 御幸と春やあひにあひざめ   守武

 刀を研がせるのは御幸で御門を警護するためだった。御幸に春と目出度さが重なって、「逢いに逢い」ということだが、それを最後に刀の鞘に用いられる「藍鮫」と掛けて落ちにする。
 藍鮫は漢字ペディアに、

 「①ツノザメ科の海魚の総称。関東以南の深海にすむ。全長約一(メートル)。体は淡褐色。肉は練り製品の原料。
  ②濃い青色をおびたさめ皮。刀の鞘(さや)を巻くのに用いる。」

とある。

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