今日は午前中は雨が降ったが、昼頃から日が射してくると一気に暖かくなった。
それでは「守武独吟俳諧百韻」の続き。挙句まで。
名残裏。
九十三句目。
今年十六身にやしむらん
乙女子をとらへてとへば秋の暮 守武
十六歳は今だったらロリだが室町時代にはやや行き遅れの年齢。当時は十三歳くらいが結婚適齢期だった。十六でもはや秋の暮。
九十四句目。
乙女子をとらへてとへば秋の暮
盗人なりとながめやるそら 守武
宗鑑編の『新撰犬筑波集』に、
きりたくもありきりたくもなし
盗人を捕らえて見れば我が子なり
の句があり、似ている。『新撰犬筑波集』はウィキペディアには「大永四年(一五二四年)以降の成立」とあるから、読んだ可能性はある。
ただここでは我が子とは限らない。ただ、意外な犯人というネタか。
『連歌俳諧集』の注は『伊勢物語』六段や十二段の略奪婚のととする。この場合は恋になる。
九十五句目。
盗人なりとながめやるそら
物をなど雲のはたての取りぬらん 守武
「雲の果たて」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、
「《「くものはだて」とも》
1 雲の果て。空の果て。
「都をば天つ空とも聞かざりき何眺むらむ―を」〈新古今・羇旅〉
2 《「はたて」を「旗手」の意に解して》雲のたなびくさまを旗がなびくのに見立てていう語。
「吹く風に―はとどむともいかが頼まむ人の心は」〈拾遺・恋四〉
[補説]書名別項。→雲の涯(はたて)」
とある。
この場合の「物」は心とか魂とかの意味で、空の果てを眺めていると心が盗まれてゆくようだという意味。
夕暮れは雲のはたてに物ぞ思ふ
天つ空なる人を恋ふとて
よみ人知らず(古今集)
都をば天つ空とも聞かざりき
何ながむらむ雲のはたてを
宜秋門院丹後(新古今集)
のように、雲の果たては恋にも羇旅にも詠む。
九十六句目。
物をなど雲のはたての取りぬらん
あらあらにくのことやささがに 守武
物を取ったのは雲ではなくささがに(蜘蛛)だった。とんだ「くも」違い。
「あらあらにく」は「あらあら憎き」の略。平安時代から形容詞の終止語尾は口語では省略される。今日でも「やばっ」「きもっ」「ちかっ」など口語ではしばしば語尾の「い」を省略する。
九十七句目。
あらあらにくのことやささがに
かり初も毒をのみてはいたづらに 守武
日本の毒蜘蛛の多くは外来種だが、在来種でもカバキコマチグモのような毒蜘蛛がいる。今日では刺されても死ぬことはないが、昔はどうだったかはわからない。
九十八句目。
かり初も毒をのみてはいたづらに
金のはくは薄やたづねよ 守武
「金(こがね)のはく」は金箔。薄やは薄屋でコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「〘名〙 金・銀などの箔を製造し、または販売する人。また、その店。箔打ち。〔日葡辞書(1603‐04)〕
※俳諧・誹諧独吟集(1666)上「かり初も毒をのみてはいたづらに 金のはくは薄屋たづねよ」
とある。この守武独吟は重徳編『俳諧独吟集』(寛文六年刊)にも収められている。
金箔は今日でも食品に用いられるが、昔は銅の混じった純度の低い金が多く、これを飲むと中毒を起す。
九十九句目。
金のはくは薄やたづねよ
とがするは花見のはれの腰刀 守武
江戸時代の俳諧に描かれる庶民の花見ではなく、宮廷や大名クラスの花見であろう。腰の刀はきれいに研ぎなおし、鞘には金箔を貼って箔を付けたいものだ。
江戸時代になると花見は庶民のもので、武士はそういう所に行くものではないとされていたが、そうはいっても庶民の花見に混ざるものはいた。ただ、刀を挿していると浮いてしまう。
何事ぞ花みる人の長刀 去来
ということになる。
挙句。
とがするは花見のはれの腰刀
御幸と春やあひにあひざめ 守武
刀を研がせるのは御幸で御門を警護するためだった。御幸に春と目出度さが重なって、「逢いに逢い」ということだが、それを最後に刀の鞘に用いられる「藍鮫」と掛けて落ちにする。
藍鮫は漢字ペディアに、
「①ツノザメ科の海魚の総称。関東以南の深海にすむ。全長約一(メートル)。体は淡褐色。肉は練り製品の原料。
②濃い青色をおびたさめ皮。刀の鞘(さや)を巻くのに用いる。」
とある。
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