2020年2月10日月曜日

 昨日恐れていた通り、ダイアモンド・プリンセス号で今日は新たに66人もの感染が確認された。死者が出ないうちに何とかならないものか。
 香港のワールドドリーム号は四日間で1800人の乗員の検疫を済ませ、残りの1800人の乗客は検疫なしで全員下船させたという。
 それでは「守武独吟俳諧百韻」の続き。

 七十三句目。

   子どもをつるる山がつの道
 さもこそはかしましからめ峰の寺 守武

 今は少子化の時代だが、昔は子連れというとぞろぞろと何人も率いてたのだろう。さぞかし峰の寺も賑やかになったことだろう。
 七十四句目。

   さもこそはかしましからめ峰の寺
 みみをもつぶせあらましの末   守武

 峰の寺と言っても小さな寺とは限らない。比叡山や高野山のような大寺院もある。修行僧の数も多く、それを束ねる僧侶の人間関係も複雑で、浮世を遁れるはずなのに思いのほか世俗と変わらなかったりする。
 「あらまし」はこうありたいと思う心で、今でいえば「夢」だ。夢がかなって仏道修行に入ったのだが、こんなはずではなかったと思うこともある。とにかく雑音は聞こえないふりをしてやりすごそう。
 七十五句目。

   みみをもつぶせあらましの末
 花ぞさく今は麝香も何かせん   守武

 室町時代といえば香道が盛んになった時代でもあった。珍しい麝香(ムスク)の香りも珍重されたが、花の下では花の香をかぎたいものだ。
 前句の「みみをもつぶせ(雑音は聞くな)」に対して余計な香を嗅ぐなと対句的に付ける相対付けになる。
 七十六句目。

   花ぞさく今は麝香も何かせん
 さくらがもとにただねぶれとよ  守武

 桜の下で眠るというのは、

 朝夕に花待つころは思ひ寝の
     夢のうちにぞ咲きはじめける
              崇徳院(千載集)

の心か。
 中世では花に桜を付けるのは珍しくなかった。湯山三吟の三十八句目にも、

    咲く花もおもはざらめや春の夢
 さくらといへば山風ぞふく    宗長

の句がある。水無瀬三吟の八十一句目は桜に花を付けている。

   小夜もしづかに桜さくかげ
 灯をそむくる花に明けそめて   宗祇

 七十七句目。

   さくらがもとにただねぶれとよ
 春のよのよそ目計は坐禅にて   守武

 桜の咲く春の夜、坐禅をして感心だと思っていたら、よくよく見ると居眠りしていた。
 七十八句目。

   春のよのよそ目計は坐禅にて
 月の輪とふやかすかなるらん   守武

 月の輪は満月のことだが、月輪(がちりん)と読むと、悟りを求める曇りなき心を意味する。
 春だから月は朧で幽かに見えるが、それと同じで春は眠くなる季節で坐禅をしていてもついつい居眠りしてしまい、悟りを求める心も霞んでしまう、となる。

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