今日は生田緑地の梅林を見に行った。早咲きの梅は見頃になっていたが、まだ咲いてない木も多かった。そのあと水餃子鍋を食べ、ホットビールを飲んだ。
結局日本でも中国でも政治家や活動家というのは、感染症の脅威よりも民衆の方を恐れている。
だから正しい情報を与えずに、ただ「安全だ」をくりかえし、デマやヘイトに過剰に反応する。
ただ、危機管理には常に最悪の状況を想定することも必要だ。ネット上でそれを話し合うことに罪はない。
それでは「守武独吟俳諧百韻」の続き。
名残表。
七十九句目。
月の輪とふやかすかなるらん
小車が吹きやられたる秋の風 守武
「小車(をぐるま)」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、
「1 小さな車。また、車、特に牛車(ぎっしゃ)をいう。
「思ひまはせば―のわづかなりける憂き世かな」〈閑吟集〉
2 キク科の多年草。湿地に生え、高さ30~60センチ。地下茎で繁殖。葉は互生し、堅い。夏から秋、黄色い頭状花を開く。のぐるま。かまつぼぐさ。《季 秋》「―や何菊と名の付くべきを/越人」
とある。牛車はウィキペディアには、
「武家が政権を取った鎌倉・室町時代には、牛車に乗る権利を持つ従五位以上の官位を持つ武家衆も多く現れたが、実際に牛車を使ったのは将軍家のみである。応仁の乱以後には貴族のあいだでも牛車は廃れて消滅してしまうが、1588年(天正16年)に豊臣秀吉が聚楽第行幸に際して牛車を新調した。」
とあり、守武の時代には既に廃れていたようだ。ここでは植物の方であろう。「さくら」とは二句去りだが、木類と草類で違えている。『応安新式』では「木に草 虫与鳥 鳥与獣(如此動物)」は可隔三句物だが、ここは牛車のこととも取れてダブルミーニングだから良しとするのだろう。
八句目の月は実質的には夜分の「手習を目さるる人のあは雪に」と二句去りで出しているし、九句目の「下葉散る柳のやうじ秋立ちて」は六句目の「竹」から二句しか去ってない。これも柳ではなく楊枝のことだからということで遁れられる。
三十六句目の「大蛇」も「たれぞとて百千鳥足踏みいでて」から二句しか隔ててないが、これも「千鳥足」のことだからセーフなのだろう。
八十句目。
小車が吹きやられたる秋の風
ふりたてぬるは鹿牛の角 守武
小車といっても牛車ではなく野の花だから、鹿も一緒に角を振りたてる。
草も木も色のちくさにおりかくす
野山のにしき鹿ぞたちける
藤原定家(拾遺愚草)
の歌もある。
八十一句目。
ふりたてぬるは鹿牛の角
大日に春日の神のあらそひて 守武
コトバンクの「世界大百科事典内の大日如来の言及」に、
「西日本では牛の守護神として大日如来の信仰が盛んであり,その縁日に牛をつれて参拝し,境内の草や樹枝を厩(うまや)にさしたり護符を牛小屋にはるなどの風習も広がった。また,農民は大日講,万人講などを結んで金銭を集め,それによって講員の耕牛を順次購入していく方式なども考えて実行していた。」
とある。
大日如来の牛と春日大社の鹿が角を突き合わす。前句で「鹿牛」という言葉を考えた時点で、この展開を想定していたか。独吟だとそういうこともある。
八十二句目。
大日に春日の神のあらそひて
ならのみやこや無為になるらん 守武
奈良の大仏は盧舎那仏だが、密教では大日如来ど同一視されている。
神と仏が争っていては奈良の都も無為ではすまない。無為(ぶゐ)はこの場合無異(何事もない)の意味。
当時奈良は戦国大名の筒井順興(筒井順慶の祖父)が治めていたが、この独吟の二年前の享禄元年(一五二八年)、柳本賢治の軍の侵攻に合い薬師寺などが被害を受けた。
八十三句目。
ならのみやこや無為になるらん
銀の目貫の太刀のゆふまぐれ 守武
『連歌俳諧集』の注に、
「銀(しろかね)の目貫の太刀をさげ佩きて奈良の都をねるがは誰が子ぞねるは誰が子ぞ」
という神楽歌の採物を引用している。武門の棟梁たる物部氏の総氏神で七支刀を伝える石上(いそのかみ)神宮の祭の歌であろう。
ならは刀鍛冶が多く住んでいた。ここで作られた刀は奈良刀(ならがたな)と呼ばれる。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」には、
「〘名〙 中世、大和国(奈良県)奈良に住む刀工の鍛えた刀。近世には主として肥前で鍛造された鈍刀が奈良に移入され、そこで外装されて売り出された。大量生産による粗製の品が多くなったところから、鈍刀のことをもいう。奈良物。〔庭訓往来(1394‐1428頃)〕」
とある。粗悪になったのは江戸時代のことで、守武の時代には質も良かったのだろう。
前句の神仏の争いから祭で銀の目貫の太刀を佩いて練り歩く平和な姿へと転じる。
八十四句目。
銀の目貫の太刀のゆふまぐれ
こひしき人にまゐらせにけり 守武
奈良の石上神宮は古くから恋が詠まれている。人麻呂歌集の
石上布留の神杉神さびて
恋をも我れはさらにするかも
(『万葉集』巻十一・一九七二)
をはじめとして、
石上布留の中道なかなかに
見ずは恋しと思はましやは
紀貫之(古今集)
などの歌がある。
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