今日は旧暦一月の二十六日。もうすぐ二月如月令月。河津桜もいたるところで満開になり、春だなあ。
マルクス・ガブリエルの『なぜ世界は存在しないのか』(マルクス・ガブリエル、2018、講談社)もようやく読み終わった。これで「天才王子の赤字国家再生術」(鳥羽徹、GA文庫)の続きが読める。
最後のほうはテレビの話が多く、さすがにドイツのテレビの話題には付いていけず、斜めに読み飛ばすことになった。テレビお宅なのかな。
そういうわけで、昨日の補足でこの哲学談義を終わりにしようと思う。
自分探しの宗教論がなぜおかしいかというと、簡単に言えば「自分とは何か」という問いにたった一つの答を要求するのであれば、それを「一つの世界」に位置づけなくてはならないからだ。そこに否定した「世界」に替る言葉として「精神(霊)」という言葉を登場させている。(そういえばテレビジョンは本来は霊視のことだったと確かデリダが言っていたと思ったが。)
一つの世界が存在せず、無数の意味の場が存在するのであれば、「自分とは何か」の答えもそれぞれの意味の場の中に無数に存在する。
意味の場の多様性は生活空間の多様性と言ってもいい。
人は一人で生きているのではない。家庭や職場・学校、地域社会、趣味の場、宗教、そして友人などともに生きている。これらはほぼ無限に細分化している。
例えば家庭といっても夫婦の間柄もあれば親子や兄弟の関係もあり、遠い親戚との稀な交流もある。
職場は会社員であれば一企業に所属し、その中でも部署に所属し、そこでは上司や部下の上下関係もあれば同僚との関係もある。さらに他の部署との関係や取引先との関係もある。労働組合のある会社だと、そこでの上下関係もあれば同志の関係もある。また、企業は広く業界に所属し、業界は経済界全体のなかにある。
地域社会も隣近所から町内会や団地の自治会、市町村から国家にに至るまで様々な区分がある。国家を超えたNGOに参加する場合もある。
最終的には地球市民の立場というのもあるが、これはほとんど「一つの世界」と変わらない。つまりただ抽象的に存在しているだけで実在しない。
趣味の場は今はネット上のコミュニティーが多いが、それ以外にもスポーツチームに入ったりカルチャー教室に通ったり、様々なサークル活動もあるし、芸能人のファンクラブなどもある。
宗教ももちろんいろいろある。結婚式は神前かキリスト教会が多いけど、なぜか死ぬと仏教式の葬式を行うことが多い。新興宗教に所属する人とはあまり深く係わりたくはない。
友人はこうした組織とは無関係に独自な人間関係を構成する。
「自分とは何か」はこうした異なる様々な所属集団の中で様々に規定することができよう。どれに重点を置くかも人それぞれだし、こうして誰でもたくさんの顔を持っている。答えは無数にある。一つに限定することなど凡そ不可能だ。
それでも一つの答を探そうと思ったとき、人は旅に出たりする。あるいは山に籠るか。
もっとも、昔の人は決して「自分を探す」ために山に籠ったのではないし旅に出たのでもない。「遁世」は世間のわずらわしさから遁れるためのもので、古典の中に自分探しの痕跡を見つけることは難しい。「自分探し」は近代でもかなり最近のものではないかと思う。多分西洋でもそうだと思う。それこそキルケゴールあたりから始まっているのではないか。
今日の引き籠りも、そのほとんどは特に自分探しとかそういうものではないと思う。自室に引き籠ってもネット上ではいくつものハンドルネームを使い分けて、たくさんの自分を演じてたりする。
多様な世界に所属するというのは、一種の保険のようなもので、一つの世界が駄目でもほかの世界に逃げ場を作ることができる。だから基本的に人は統一力ならぬ「分裂力」というのが具わっているのではないかと思う。
これに対し、たった一つの意味を求めるというのは、あくまで世界が一つであることを前提としたもので、「世界は存在しない」というテーゼと矛盾する。
一つの世界像を信仰するのがフェティシズムなら、一つの自分の探求も自分フェチといわざるを得ない。
芸術は自分の知らない多様な見方を見せてくれるという意味で、多様であることに意味がある。一つの芸術、唯一の美などというものは存在しない。それは世界が存在しないのと一緒だ。
いろいろな芸術に興味を持つのは良いことだが、これだけ広い世界に多種多様な芸術があると、さすがにすべてに首を突っ込むなんてことはできない。
だからドイツのテレビについてはご勘弁願おう。私もガブちゃんに俳諧を読めというつもりはないし。一人の人間には限界がある。だから世の中には多種多様な、時として相反する人もいなくてはならない。それを認め合うことで、ともに民主主義の価値観を共有することができると思う。
まあ、私も一応大学では哲学を専攻してたし、卒論はハイデッガーで書いた。久しぶりに哲学というのを楽しませてもらったことに感謝したい。
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