ここのところ晴れた日が続いている。今日も夕暮れの空に半月が見えた。春らしくやや霞んでいた。
それでは「守武独吟俳諧百韻」の続き。
二裏。
三十七句目。
おもふあたりは大蛇すむかげ
人はこでうき入相のかねまきに 守武
「かねまき」は謡曲『鐘巻』で謡曲『道成寺』の原型とされている。
ただ、ここでは謡曲『鐘巻』のストーリーでなく、そこで語られる「安珍清姫の物語」を本説としたものであろう。
この物語は僧の安珍に惚れた清姫がついには蛇となって安珍を追う。安珍は道成寺の鐘を降ろしてもらいその中に逃げ込むのだが蛇となった清姫は金に巻きつき焼き殺し、清姫も蛇のまま入水する。
最後は道成寺の住持の唱える法華経の功徳により成仏して終る。
人のいない道成寺の物憂げな入相の鐘を聞いていると、ここで鐘巻になって安珍の焼き殺された、あの大蛇の話が思い出される。
三十八句目。
人はこでうき入相のかねまきに
法のみちとやときほどくらん 守武
その入相の鐘は鐘巻の伝承を思い起こし、仏法を説いているかのようだ。
「安珍清姫の物語」を本説から離れていず、やはり緩い展開が続く。
三十九句目。
法のみちとやときほどくらん
むすぼほる髪にやくしをさしそへて 守武
前句の「ほどくらん」に対し「むすぼほる」が掛けてにはになる。結んで固められた髪を櫛を挿し添えて解くように、仏法を説き解いてゆくとなるが、上句には薬師如来が隠れている。
四十句目。
むすぼほる髪にやくしをさしそへて
るりのやうなるかがみみるかげ 守武
櫛で髪をとかす女性のイメージとなり、その女性は瑠璃のような鏡を覗き込む。
瑠璃はラピスラズリのことで、ガラスの異名でもあるが、ガラスの鏡が日本に入ってきたのは一五四九年のザビエル来日の時とされているから、この独吟の十九年後になる。
それ以前に何らかのルートでガラスの鏡が知られていたのかもしれない。現物は見たことなくても、中国の方からの噂として伝わっていた可能性はある。
四十一句目。
るりのやうなるかがみみるかげ
すきとほる遠山鳥のしだりをに 守武
「るり」に「すきとほる」と付くからには、やはり何らかの形でガラスの鏡が知られていたのだろう。
「遠山鳥」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「〘名〙 (ヤマドリの雌雄は山を隔てて寝るというところから) 「やまどり(山鳥)②」の異名。
※源氏(1001‐14頃)総角「歎きかちにて、例の、とを山どりにて明けぬ」
※新古今(1205)春下・九九「桜咲く遠山鳥のしだりをのながながし日もあかぬ色かな〈後鳥羽院〉」
とある。
ヤマドリはキジ科でオスは金属光沢のある赤褐色の長い尾を持っている。
後鳥羽院の歌は「桜咲くながながし日もあかぬ色かな」に「遠山鳥のしだりをの」という序詞を挟んだものだが、この句は「尾ろの鏡」で付けている。
「尾ろの鏡」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「(光沢のある雄の山鳥の尾に、谷をへだてた雌の影がうつるというところから) 尾が光って影が映るのを鏡にみなしていったもの。異性への慕情のたとえに用いられる。山鳥の尾ろの鏡。
※土御門院集(1231頃)「山鳥のをろの鏡にあらねどもうきかげみてはねぞなかれける」
[補注]「万葉‐三四六八」の「山鳥の尾ろの初麻(はつを)に鏡懸け唱ふべみこそ汝(な)に寄そりけめ」の歌から生まれた歌語で、解釈は付会されたもの。」
とある。
四十二句目。
すきとほる遠山鳥のしだりをに
はきたる矢にも鵺やいぬらん 守武
山鳥のしだり尾を使った矢は、伝説の鵺(ぬえ)すらも射抜くだろうか、となる。
源頼政の鵺退治の話に、山鳥の尾で作った尖り矢が用いられている。ウィキペディアには、
「毎晩のように黒煙と共に不気味な鳴き声が響き渡り、二条天皇がこれに恐怖していた。遂に天皇は病の身となってしまい、薬や祈祷をもってしても効果はなかった。側近たちはかつて源義家が弓を鳴らして怪事をやませた前例に倣って、弓の達人である源頼政に怪物退治を命じた。頼政はある夜、家来の猪早太(井早太との表記もある)を連れ、先祖の源頼光より受け継いだ弓を手にして怪物退治に出向いた。すると清涼殿を不気味な黒煙が覆い始めたので、頼政が山鳥の尾で作った尖り矢を射ると、悲鳴と共に鵺が二条城の北方あたりに落下し、すかさず猪早太が取り押さえてとどめを差した。その時宮廷の上空には、カッコウの鳴き声が二声三声聞こえ、静けさが戻ってきたという。これにより天皇の体調もたちまちにして回復し、頼政は天皇から褒美に獅子王という刀を貰賜した。」
とある。
0 件のコメント:
コメントを投稿