2020年2月12日水曜日

 新型肺炎だとか新型コロナウイルス感染症だとか、名前を変えてきたが一応COVID-19という名前に決定したという。ウイルスの名前は2019-nCoVで、これは2019年のNovel coronavirusの略だとするとCOVID-19は、coronavirus infectious disease-2019の略ということでいいのかな。
 「肺炎」という文字が消えているのが気になる。
 それでは「守武独吟俳諧百韻」の続き。

 八十五句目。

   こひしき人にまゐらせにけり
 物思ふ宿よりおくの持仏堂    守武

 前句の「まゐらせにけり」をお参りさせるの意味に取り成す。
 持仏堂はコトバンクの「百科事典マイペディアの解説」に、

 「朝夕その人が信仰し礼拝する仏像(念持仏,持仏)を安置しておく建物,または部屋。江戸中期以後,一般化した在家の仏間や仏檀はこの変形である。」

とある。宿の奥の持仏堂に恋しき人を招き入れる。
 八十六句目。

   物思ふ宿よりおくの持仏堂
 見えし姿やさらに花皿      守武

 花皿はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、花籠(けこ)に同じとあり、花籠(けこ)は、

 「法要のとき、散華(さんげ)に用いる花を盛る器。竹を編んで作ったもののほか、透かし彫りを施した金属製のものなどがある。はなざら。はなかご。」

とある。
 花皿は松永貞徳の『俳諧御傘』では、「春也、正花也。植物也、尺教也」とあるが、ここでは九十九句目に花の句があるので正花にはなっていないし、春にもなっていない。前の五句、後の五句に植物がないから植物として扱われていた可能性はある。また、前句に持仏堂、後の句に坊主があるから釈教にはなっている。
 八十七句目。

   見えし姿やさらに花皿
 山水にうつろひぬるは坊主にて 守武

 これは河童だろう。本当は坊主だけど水に映る姿はさながら頭に皿のある河童のようだ。
 八十八句目。

   山水にうつろひぬるは坊主にて
 いかに涼しきはげがやすらひ  守武

 山水の景色があれば隠遁の僧侶のようにも見えるが、実はただの禿。
 八十九句目。

   いかに涼しきはげがやすらひ
 ま木の戸やよるはすがらに光るらん 守武

 真木は杉や檜などの針葉樹を指す。ここでは戸の材料なので植物にはならない。
 「よるはすがらに」は「夜もすがら」のこと。
 木戸に寄りかかると涼しいが、そのため夜もすがら真木の戸が光っていると、「光は親父の禿頭」みたいな何とも素朴なネタだ。
 九十句目。

   ま木の戸やよるはすがらに光るらん
 夢に源氏のみゆる手まくら   守武

 光の縁から源氏だが、光源氏の「光」に由来は「桐壺」巻には二つある。一つは、

 「世にたぐひなしとみたてまつり給ひ、名だかうおはする宮の御(み)かたちにも、なほにほはしさはたとへんかたなくうつくしげなるを、世のひとひかる君と聞ゆ。」
 (世に類を見ないと言われている名高い東宮様の立派な姿と比べても、なお何とも例えようもない雰囲気を持つ源氏の君の美しさに、宮中の人たちは「光る君」と呼びました。)

で、もう一つは「桐壺」巻の最後の、

 「ひかるきみといふ名は、こまうどのめできこえてつけたてまつりけるとぞ、いひつたへたるとなん。」
 (一説には、「光君(ひかるきみ)」という名は、かつての渤海の使節が最初に賞賛の意味でつけたとも言われてます。)

という説明だ。
 光源氏の夢だから夜通し光って見える。
 九十一句目。

   夢に源氏のみゆる手まくら
 篤盛のうらみも薄く月更けて  守武

 前句の源氏を平家の宿敵の源氏とする。篤盛は敦盛のこと。
 謡曲『敦盛』のラストであろう。夢に源氏との軍を回顧しながら、最後は成仏してゆく。
 九十二句目。

   篤盛のうらみも薄く月更けて
 今年十六身にやしむらん    守武

 敦盛が一ノ谷の戦いで戦死した。享年十七歳。十六になった若者にとっては、こんな早く死んだのかと身に染みる思いだ。

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