昨日の四句目。
町の門追はるる鹿のとび越えて
きてはゆかたの裾を引ずる 雪芝
「夏に転じてサウナの後の夕涼みの情景とした。」と書いてしまったが、次の句が「二十日とも覚へずに行うつかりと」でその次にホトトギスが出てくる。ひょっとしてこの頃はまだ「浴衣」は夏の季語ではなかったか。
江戸後期の曲亭馬琴の『俳諧歳時記栞草』の夏のところには確かに「内衣(ゆかたびら)」とあるが、貞徳の『俳諧御傘』や立圃の『増補はなひ草』には出てこない。「かたびら」は夏だが。
となるとこの句は秋の温泉街を思い浮かべたほうがいいのかもしれない。
五句目。
きてはゆかたの裾を引ずる
二十日とも覚へずに行うつかりと 惟然
二十日は特に何月と指定はないが湯屋の紋日か。
「紋日(もんび)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「〘名〙 (「ものび(物日)」の変化した語。「もんぴ」とも) 江戸時代、主として官許の遊里で五節供やその他特別の日と定められた日。この日遊女は必ず客をとらねばならず、揚代もこの日は特に高く、その他、祝儀など客も特別の出費を要した。一月は松の内、一一日、一五日、一六日、二〇日、続いて二月一〇日、三月三日、五月五日、七月七日、九月九日。吉原では三月一八日三社祭、六月朔日富士詣、七月一〇日四万六千日、八朔白無垢、八月一五日名月、九月一三日後の月、一二月一七・一八日浅草歳の市、など多かった。〔評判記・色道大鏡(1678)〕」
とある。
湯女のいる湯屋はもとより、普通の銭湯でもこれに準じた行事があった。健全な湯屋では客に茶をふるまい、返礼におひねりを置いていったという。
六句目。
二十日とも覚へずに行うつかりと
此山かりて時鳥まつ 卓袋
卓袋(たくたい)はコトバンクの「デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説」に、
「1659-1706 江戸時代前期-中期の俳人。
万治(まんじ)2年生まれ。伊賀(いが)(三重県)上野の富商。松尾芭蕉にまなび,その作品は「猿蓑」などにおさめられている。宝永3年8月14日死去。48歳。通称は市兵衛。屋号は絈屋(かせや)。別号に如是庵。」
とある。
ほととぎすといえば、
卯の花の咲ける垣根の月清み
寝ねず聞けとや鳴くほととぎす
よみ人知らず(後撰集)
夕月夜入るさの山の木隠れに
ほのかに名のるほととぎすかな
藤原宗家(千載集)
五月雨の雲まの月の晴れゆくを
しばしまちける郭公かな
二条院讃岐(新古今集)
など月の時鳥を詠むことも多い。ただ、二十日ともなると月の出も遅く真っ暗な中で時鳥を待つことになる。
七句目。
此山かりて時鳥まつ
麁相なる草履の尻はきれかかり 望翠
望翠も伊賀上野の門人。これより少し前の八月二十四日の興行では、
つぶつぶと掃木をもるる榎実哉 望翠
の発句を詠んでいる。
「麁相(そそう)」はここでは粗末なこと。軽率の意味だと打越の「うつかりと」とかぶってしまう。
時鳥を待つ人を粗末な草履の侘び人とした。
八句目。
麁相なる草履の尻はきれかかり
床であたまをごそごそとそる 支考
粗末な草履の男は剃髪して僧形になる。
ここまでの八句、上句と下句を合わせると、
松風に新酒をすます夜寒哉月もかたぶく石垣の上
町の門追はるる鹿のとび越えて月もかたぶく石垣の上
町の門追はるる鹿のとび越えてきてはゆかたの裾を引ずる
二十日とも覚へずに行うつかりときてはゆかたの裾を引ずる
二十日とも覚へずに行うつかりと此山かりて時鳥まつ
麁相なる草履の尻はきれかかり此山かりて時鳥まつ
麁相なる草履の尻はきれかかり床であたまをごそごそとそる
ときれいに付いていることが分かる。これが俳諧だ。現代連句とは違う。
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