今日は小石川植物園に行った。
この前の台風で木が倒れていたり、かなり荒れた感じになっていた。
秋の花は少ないが、それでも萩、ミソハギ、女郎花、オトコエシ、キクイモなどが咲いていた。芭蕉の木には花と実があった。花は大きく花びらは散った後か。身は小さく短く青いがバナナだった。
今日はあちこちで祭をやっていて、神輿も何台か見た。植物園の隣の簸川(ひかわ)神社も縁日の屋台が出ていた。
帰る途中、新大久保を通った。いつもどおり賑わっていた。
それでは「実や月」の巻、挙句まで。
三十三句目。
大坂くづれ瓦のこれる
神鳴の火入とかやは是とかや 桃青
「火入(ひいれ)」にはいろいろな意味がある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」には、
「① タバコを吸うための炭火などを入れておく小さな器。ひいり。
※評判記・色道大鏡(1678)四「呑(のみ)さしたるたばこを火入(ヒイレ)にうちあけ」
② 山野・秣場(まぐさば)などを肥やすために、そこの枯れ草や小さい木などを焼くこと。
※森林法(明治四〇年)(1907)七八条「森林又は之に接近せる土地に火入を為さむとするときは」
③ 清酒などの腐敗を防ぐために加熱すること。
※歌舞伎・曾我梅菊念力弦(1818)三立「あの酒も火入(ヒイ)れだの」
④ 製鉄所の溶鉱炉や火力発電所などの燃焼設備が、落成したり改修したりして、操業を開始すること。吹き入れ。「火入れ式」
⑤ 江戸時代、山林の保護や火災の予防などのために山林の周囲を前もって焼きはらうこと。ほそげやき。」
元は単に火を入れるということだから、火の入れ物か、何かの目的のために火を導入する事かの二つに分けられる。
前句の「瓦」を生かすなら、この瓦が雷の火の入れて保管しておくものか、と読んだ方がいいのだろう。「茶道入門」のホームページには、
「火入(ひいれ)は、煙草盆の中に組み込み、煙草につける火種を入れておく器のことです。
火入は、中に灰を入れ、熾した切炭を中央に埋めて、喫煙の際の火種とします。」
とある。
この句を大坂冬の陣で大砲が用いられたことと結びつけると、同じネタが連続する事になるので、ここは普通に雷が落ちて火事になって残った瓦とすべきであろう。
三十四句目。
神鳴の火入とかやは是とかや
鬼一口に伽羅を喰割 二葉子
「伽羅(きゃら)」はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、
「香木の一種。沈香,白檀などとともに珍重された。伽羅はサンスクリット語で黒の意。一説には香気のすぐれたものは黒色であるということからこの名がつけられたという。茶道では真の香とされている。」
とある。
火入も茶道具なので、同じ茶道具として伽羅を出す。とはいえ、雷様の茶会だから茶室に招かれたのも鬼。香を焚くための伽羅をむしゃむしゃと貪り食ってしまう。
三十五句目。
鬼一口に伽羅を喰割
花の時千方といつし若衆の 紀子
『校本芭蕉全集 第三巻』の注に「謡曲・田村『千方といひし逆臣に仕えし鬼も』」とある。「いつし」は「いひし」の間違いか。
田村は坂上田村麻呂のことで、東国から京に登ってきた僧が坂上田村麻呂に由来する清水寺を訪れる。折から花の季節だった。
「千方」は藤原千方の四鬼のことで、ウィキペディアには、
「様々な説があるが、中でも『太平記』第一六巻「日本朝敵事」の記事が最も有名。
その話によると、平安時代、時の豪族藤原千方は、四人の鬼を従えていた。どんな武器も弾き返してしまう堅い体を持つ金鬼(きんき)、強風を繰り出して敵を吹き飛ばす風鬼(ふうき)、如何なる場所でも洪水を起こして敵を溺れさせる水鬼(すいき)、気配を消して敵に奇襲をかける隠形鬼(おんぎょうき。「怨京鬼」と書く事も)である。藤原千方はこの四鬼を使って朝廷に反乱を起こすが、藤原千方を討伐しに来た紀朝雄(きのともお)の和歌により、四鬼は退散してしまう。こうして藤原千方は滅ぼされる事になる。」
とある。このときの和歌は、
草も木もわが大君の國なれば
いづくか鬼のすみかなるべき
で、芭蕉が伊賀にいたころの「野は雪に」の巻の十二句目にも、
あれこそは鬼の崖と目を付て
我大君の国とよむ哥 一以
の句が見られ、良く知られていた歌だった。
田村には、後半に坂上田村麻呂の霊が登場し、
いかに鬼神もたしかに聞け。昔もさるためしあり。
千方といひし。
逆臣に仕へし鬼も王位を背く天罰にて。
千方を捨つれば忽ち亡び失せしぞかし。
ましてやま近き鈴鹿耶麻。
と、鈴鹿山の敵を打ち破ったときのことを語る。
句の方は、千方がまだ若衆だった頃の鬼のエピソードに作る。
若衆とくれば、当然あれを呼び出すことになる。
挙句。
花の時千方といつし若衆の
恋のくせもの王代の春 卜尺
「王代」は王朝時代のこと。
ホモネタは芭蕉も得意としたが、ここでは卜尺に譲ったか。とはいえ、「くせもの」扱いするところはやはりオヤジだ。
この巻で芭蕉の句はあまり立っていない。卜尺と二葉子(喋々子?)のペースにはまってしまっている。このあと桃青は卜尺から離れ、『次韻』に向けて独自の風を作り上げてゆくことになる。
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