台風は去って渋滞が残った。こういう日は休みにして欲しい。
それでは「実や月」の巻の続き。
十三句目。
秋を坐布の床の山風
焼鳥の鶉なくなる夕まぐれ 二葉子
秋風に鶉は、
夕されば野辺の秋風身にしみて
鶉鳴くなり深草の里
藤原俊成(千載和歌集)
が本歌になる。それを焼鳥の鶉にして卑俗に落とす。
十四句目。
焼鳥の鶉なくなる夕まぐれ
精進あげの三位入道 桃青
「三位入道」は「夕されば」の歌の作者、藤原俊成が正三位の位に就き俊成卿と呼ばれていたが、後に出家し、五条三位入道と呼ばれるようになった。
同じ本歌で三句続けることはできないが、ここは単に作者名だけだし、まあ、他の三位入道だと言って逃れることもできる。
精進上げといえば、貞徳独吟「歌いづれ」の巻の八十一句目に、
祝言の夜ぞ酔ぐるひする
生魚を夕食過て精進あげ 貞徳
の句があった。精進潔斎が必要な行事が終ったあとの肉や酒や性の解禁をいう。
十五句目。
精進あげの三位入道
かかと寝て花さく事もなかりしに 卜尺
『校本芭蕉全集 第三巻』の注は、
埋木の花咲くこともなかりしに
身のなる果はあはれなりけり
源頼政
の歌を引いている。辞世の歌で、埋もれた木のように花さくこともなかった身を嘆く。
源頼政は従三位にまで上り、源三位と呼ばれた。晩年には出家している。
句の内容はというと、「かかあと寝て何が嬉しいんだ」といかにもオヤジの言いそうなことだ。精進上げは肉・酒・性の解禁だから、最後の「性」を付ける。
ちなみに源三位の妻は源斉頼女(源斉頼の孫娘)だが、菖蒲御前という側室もいた。
十六句目。
かかと寝て花さく事もなかりしに
又孕ませて蛙子ぞなく 紀子
これは貧乏人の子沢山ということか。
まあ、浮気するほどの金もなければ、男としてももてもせず、というところでせっせとかかあ相手に子作りに励み、あちこちで子供が泣いている。
「蛙子」はおたまじゃくしのことで鯰の孫ではない。本物のおたまじゃくしは鳴かないが‥。
蛙子は「あこ」とも読めるので、「吾子」と掛けているのかもしれない。
十七句目。
又孕ませて蛙子ぞなく
鶯の宿が金子をねだるらむ 桃青
さて、二句続いたオヤジギャグをどう収めるかというところだ。
「鶯の宿」は、
勅なればいともかしこしうぐひすの
宿はと問はばいかが答へむ
よみ人知らず(拾遺集)
という出典がある。これは御門の命令で梅の木を持ってかれてしまったときに、その家の女主人が木にこの歌を結び付けておいて、それを読んだ御門が梅の木を返すという物語だ。
桃青の句の場合は、金子(きんす)を持って行こうとする亭主に女房が、「ほら、蛙子が泣いてるでしょ」とたしなめる場面にする。
十八句目。
鶯の宿が金子をねだるらむ
龍田のおくに博奕こうじて 二葉子
鶯に龍田は、
花の散ることやわびしき春霞
たつたの山の鶯の声
藤原後蔭(古今集)
の歌を本歌とする。
鶯の主人が何で金子をねだるかと思ったら、龍田山の奥に賭博ができたからだった。龍田山IRか。
0 件のコメント:
コメントを投稿