2019年9月9日月曜日

 台風は去って渋滞が残った。こういう日は休みにして欲しい。
 それでは「実や月」の巻の続き。

 十三句目。

   秋を坐布の床の山風
 焼鳥の鶉なくなる夕まぐれ   二葉子

 秋風に鶉は、

 夕されば野辺の秋風身にしみて
     鶉鳴くなり深草の里
           藤原俊成(千載和歌集)

が本歌になる。それを焼鳥の鶉にして卑俗に落とす。
 十四句目。

   焼鳥の鶉なくなる夕まぐれ
 精進あげの三位入道      桃青

 「三位入道」は「夕されば」の歌の作者、藤原俊成が正三位の位に就き俊成卿と呼ばれていたが、後に出家し、五条三位入道と呼ばれるようになった。
 同じ本歌で三句続けることはできないが、ここは単に作者名だけだし、まあ、他の三位入道だと言って逃れることもできる。
 精進上げといえば、貞徳独吟「歌いづれ」の巻の八十一句目に、

   祝言の夜ぞ酔ぐるひする
 生魚を夕食過て精進あげ    貞徳

の句があった。精進潔斎が必要な行事が終ったあとの肉や酒や性の解禁をいう。
 十五句目。

   精進あげの三位入道
 かかと寝て花さく事もなかりしに 卜尺

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注は、

 埋木の花咲くこともなかりしに
     身のなる果はあはれなりけり
               源頼政

の歌を引いている。辞世の歌で、埋もれた木のように花さくこともなかった身を嘆く。
 源頼政は従三位にまで上り、源三位と呼ばれた。晩年には出家している。
 句の内容はというと、「かかあと寝て何が嬉しいんだ」といかにもオヤジの言いそうなことだ。精進上げは肉・酒・性の解禁だから、最後の「性」を付ける。
 ちなみに源三位の妻は源斉頼女(源斉頼の孫娘)だが、菖蒲御前という側室もいた。
 十六句目。

   かかと寝て花さく事もなかりしに
 又孕ませて蛙子ぞなく     紀子

 これは貧乏人の子沢山ということか。
 まあ、浮気するほどの金もなければ、男としてももてもせず、というところでせっせとかかあ相手に子作りに励み、あちこちで子供が泣いている。
 「蛙子」はおたまじゃくしのことで鯰の孫ではない。本物のおたまじゃくしは鳴かないが‥。
 蛙子は「あこ」とも読めるので、「吾子」と掛けているのかもしれない。
 十七句目。

   又孕ませて蛙子ぞなく
 鶯の宿が金子をねだるらむ   桃青

 さて、二句続いたオヤジギャグをどう収めるかというところだ。
 「鶯の宿」は、

 勅なればいともかしこしうぐひすの
     宿はと問はばいかが答へむ
            よみ人知らず(拾遺集)

という出典がある。これは御門の命令で梅の木を持ってかれてしまったときに、その家の女主人が木にこの歌を結び付けておいて、それを読んだ御門が梅の木を返すという物語だ。
 桃青の句の場合は、金子(きんす)を持って行こうとする亭主に女房が、「ほら、蛙子が泣いてるでしょ」とたしなめる場面にする。
 十八句目。

   鶯の宿が金子をねだるらむ
 龍田のおくに博奕こうじて   二葉子

 鶯に龍田は、

 花の散ることやわびしき春霞 
     たつたの山の鶯の声
             藤原後蔭(古今集)

の歌を本歌とする。
 鶯の主人が何で金子をねだるかと思ったら、龍田山の奥に賭博ができたからだった。龍田山IRか。

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