さて、今日は旧暦の九月一日。あまり実感はないけどもう晩秋なのか。今日も時折日が射す三十度近い暑さだ。
さて、九月の俳諧ということで、元禄七年の、
戌九月四日會猿雖亭
松風に新酒をすます夜寒哉 支考
を発句とする五十韻を読んでいこうかと思う。
元禄七年(一六九四)の干支は甲戌。猿雖は伊賀の門人で、芭蕉の最後の旅での伊賀滞在中の興行になる。
新酒は前に「一泊り」の巻の三十一句目、
そろそろ寒き秋の炭焼
谷越しに新酒のめと呼る也 蘭夕
の時にも触れたが、江戸初期の四季醸造の頃の古米で秋に仕込む新酒ではなく、延宝元年に寒造り以外の醸造が禁止されたあとなので、早稲で仕込んで晩秋に発酵を終える「あらばしり」だったと思われる。
その一方で安価な酒としてどぶろくも飲まれていたし、自家醸造することも多かった。「名月や」の巻の四句目、
秋をへて庭に定る石の色
未生なれの酒のこころみ 涼葉
はどぶろくだったと思われる。
酒を木炭で濾過する方法は既に室町時代に確立されていたが、この場合の新酒があらばしりのことだとしたら、「新酒をすます」というのは醪(もろみ)の入った袋を吊り下げて、搾り出す過程ではないかと思われる。
こうして出来たあらしぼりは若干白濁しているが、どぶろくに較べれば雲泥の差の澄んだ酒になる。
寒い夜に澄んだ新酒はありがたい。ただ、飲むのは興行が終わってからで、それまで新酒を澄ませておきましょう、ということか。
いずれにせよ猿雖への感謝の意が込められた発句になっている。その亭主の猿雖が脇を付ける。
松風に新酒をすます夜寒哉
月もかたぶく石垣の上 猿雖
興行開始が夕暮れだったのだろう。四日の月が西の空に、今にも沈みそうになっている。石垣は伊賀上野のお城の石垣だろうか。かつて芭蕉はそこで藤堂家に仕えていた。
そして、芭蕉が第三を付ける。
月もかたぶく石垣の上
町の門追はるる鹿のとび越えて 芭蕉
町中に鹿が出てくるあたりはさすが伊賀上野。田舎ですと自分の故郷をやや自嘲気味に詠んでいる。門を飛び越えて出て行った鹿には若い頃の芭蕉自身を重ねているのかもしれない。
四句目。
町の門追はるる鹿のとび越えて
きてはゆかたの裾を引ずる 雪芝
雪芝(せっし)はコトバンクの「デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説」に、
「1670-1711 江戸時代前期-中期の俳人。
寛文10年生まれ。松尾芭蕉(ばしょう)門人。伊賀(いが)(三重県)上野で酒造業をいとなむ。屋号は山田屋。服部土芳(どほう),窪田猿雖(えんすい)らの縁者。句は「続猿蓑(さるみの)」などにのこる。正徳(しょうとく)元年9月28日死去。42歳。名は保俊。通称は七郎右衛門。別号に野松亭。」
とある。発句の「新酒」は雪芝さんの差し入れだったか。
鹿がいきなり出てきたので、あわてたのか浴衣の裾を引きずる。
前句の「とびこえて」に続けることで、「きて」が来てと着ての両方に掛かる。夏に転じてサウナの後の夕涼みの情景とした。
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