2019年9月2日月曜日

 今日は「蕉門俳諧前集」「蕉門俳諧後集」と一緒に買った「談林俳諧集」上下をパラパラとめくってみた。ちゃんと読もうとすると何年かかるかわからないから、せいぜい拾い読み程度で、それでも談林時代から天和調へ至る時期が芭蕉だけでなく、談林全体で関東関西にまたがって生じてた現象だったというのが何となく分かる。
 常矩撰の『俳諧雑巾』(延宝九年)にも、『武蔵曲』のような破調句がいくつもある。

 梶の葉売ル声に天下の鰥露けき秋也 常矩

 梶の葉は船の梶に通じるというので、昔は願い事を梶の葉に書いて川に流したという。そのため梶の葉売りもいたとか。その声を聞くと七夕の織姫彦星の会う夜が来るというので、世の鰥夫(やもめ)たちは悲しくなるというわけだ。
 天の川は地上と天界を隔てる川でもあり、天に連れ去られた織女は地上においては死を暗示させる。一年に一度逢えるというのも、ちょうどお盆の時期に近く、死んだ妻に逢える日という連想もあったのかもしれない。

 おほん目には天川の岩を牛と見給ふべし 如葉

 天にいる織女に、天の川の石を見ても牛(牽牛)だと思ってくれ、という意味か。よくわからない。
 言水は天和二年に京都へ行ったが、『東日記(あづまのにっき)』(延宝九年)の撰の時には江戸にいた。談林の集とされているが、桃青、其角、杉風、素堂なども参加している。まだ談林と蕉門とが別れる前で、言水も、

   山居雪
 雪ならぬ日の鉢。かくあらば欲を山庵リ 言水

と破調を楽しんでいる。

 青梅の梢を見ては息休めけり炉路男   東水子
 端午の御祝義として柏木の森冬枯そむ  盲月

 このあたりは伊丹流の長発句にも負けない長さなのではないか。
 下巻の『俳諧庵桜』は西吟の撰で貞享三年とかなり後になるが、天和の破調の最後の名残を留めている。この集には、鬼貫、青人(あおんど)、馬桜、百丸といった伊丹の面々も参加しているし、

 市中に牛啼て春けしきセリ我独リ    馬桜
 蚊に埋ミ犬ないて乞食涅槃の姿哉    百丸
 華の滅度釈迦や来ぬらん吉野山     青人
 躑躅桜南朝の跡見にいらむ       鬼津ら

芭蕉の古池の句の別バージョン、

 古池や蛙飛ンだる水の音        芭蕉

の句も収められている。
 そのほかにも、

   落月庵の雨など聞、戯ル
 茅檐雨すごく芭蕉の琵琶を聞夜哉    鸞動

などは芭蕉野分の句を髣髴させる。
 猫の句もある。

 痩猫や木槿がもとの青蝘(どかき)   鐵卵
 有様や猫が世中置炬燵         青人

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