2019年9月12日木曜日

 今日は夕方から雲が出て月は見えなかった。明日は中秋の名月。天気予報だと曇りらしい。
 それでは「実や月」の巻の続き。

 二十三句目。

   鼡に羽が郭公とぶ
 押入や淀のわたりの箱階子   卜尺

 箱階子(はこばしご)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「段の裏の下部の空間に、側面から利用する、引き出しや戸棚を設けた階段。段と段との間にとりだし口を設けたものもある。はこばし。」

とある。今では階段箪笥と呼ばれることが多い。常設の階段ではなく、二階へ抜ける穴のところに梯子代わりに架けるもので、押入れに収納することも多い。
 「淀のわたり」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、

 いづ方になきてゆくらむ郭公
     淀のわたりのまだ夜ぶかきに
               壬生忠見(拾遺集)

の歌が引用されている。ホトトギスと淀の渡りはこの歌を本歌として付け合いになる。
 前句の羽の生えた鼠のホトトギスを、あたかも羽が生えているかのようなドタバタうるさく走り回る鼠の比喩とし、「押入や」の「や」は「は」に替る「や」で、「押入は淀のわたりの箱階子や」と疑いつつ治定し、「鼡に羽が(はえて、歌に詠まれた淀のわたりの)郭公(であるかのように)とぶ」、となる。
 二十四句目。

   押入や淀のわたりの箱階子
 織もの巻もの衣笠の森     紀子

 衣笠の森は京都の衣笠山の周辺で、衣笠山の麓一体もかつて衣笠と呼ば

れていた。龍安寺や等持院や金閣寺などがある。
 句は呉服店の様子を描写したもので、箱階子のある押入を淀の渡りに見立て、織物や巻いた布などの陳列されているところを衣笠の森に喩える。ものが衣(きぬ)だけに。
 対句のような構成なので、相対付け(向え付け)と見ていいだろう。
 二十五句目。

   織もの巻もの衣笠の森
 能太夫末は時雨の松見えて   桃青

 能太夫(のうだゆう)はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、

 「元来は,能の四座 (観世,宝生,金春,金剛) の宗家の称。ただし喜多流宗家だけは喜多太夫と呼ばなかった。転じて,能のシテ役のことをも太夫と称した。」

とある。
 きらびやかな織もの巻ものの森に囲まれてきた能太夫も、やがて年を取れば時雨の松のように色を失ってゆく。
 時雨の松といえば、

 わが恋は松を時雨の染めかねて
     真葛が原に風さわぐなり
              慈円(新古今集)

の歌が知られている。時雨に染まらない人を松(待つ)に、裏を見せる(うらむる)真葛が原の恨みだけが残ってゆく。
 そこには定家卿が時雨亭の、

 しのばれむものともなしに小倉山
     軒端の松に慣れて久しき
              藤原定家

のイメージとも重なり合って、謡曲『定家』の定家葛にも通じ合う。
 ここではあえて恋に限定する必要もないだろう。なかなか思い通りにならない世の中に、いつしか年を取り、果たされなかった夢の様々な恨みが、もはや怒ることも取り乱すこともなく静かに心の底に積もってゆく。(本来韓国の「恨(ハン)」もそういうものだったと思う。)
 ひょっとしたらこの能太夫は遊女の最高位としての太夫かもしれない。遊女の太夫も最初は女歌舞伎の能太夫から来ている。
 失われてゆく美貌というテーマは、後の元禄三年の「市中は」の巻の三十二句目、

    さまざまに品かはりたる恋をして
 浮世の果は皆小町なり     芭蕉

の先駆けかもしれない。
 二十六句目。

   能太夫末は時雨の松見えて
 殿様かたへゆくあらしかな   二葉子

 能太夫はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」には、

 「能役者のうち、公の席でシテを務める立場の者。江戸時代は四座一流の家元や各藩所属役者で格の高い者などをさした。のち、能役者一般をいう。」

とあるように、ここでは各藩所属役者の意味になる。
 あるいは遊女の太夫が寄る年波に勝てずに、一人の殿方の所に落ちて行くとも取れる。

 葛の葉のおつるの恨夜の霜    宗因

の心だ。この句は後に芭蕉が『野ざらし紀行』の西行谷の帰りに寄った茶店での因縁の句になる。

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