2019年9月1日日曜日

 八月にネットで買った「日本俳書大系」の「蕉門俳諧前集」の上下、「蕉門俳諧後集」の上を少しづつぱらぱらとめくっている。「蕉門俳諧後集」の下と「蕉門俳諧続集」は前から持っていた。
 千春撰の『武蔵曲(むさしぶり)』(天和二年刊)の破調は、字数に囚われないことで、近代の自由律に近くなる。

 舟あり川の隅ニ夕涼む少年哥うたふ  素堂

なんかは近代詩の一節みたいだ。

 覆盆子取女棘袖引にひかれきや    嗒山

ってこれは蕪村の『春風馬堤曲』の、

○堤下摘芳草 荆与蕀塞路
 荆蕀何妬情 裂裙且傷股

 堤を降りて芳しい草を摘もうとしたら、イバラとカラタチが道をふさぐ。
 イバラにカラタチ、何やきもち焼いてるの、裾を裂いては股を引っ掻く。

の元ネタみたいだ。

   信濃催馬楽
 君こずば寐粉にせん しなのの眞そば初眞そば 嵐雪

 「しなのの」以下は小さな字で二行で記され、注釈みたいだが、蕎麦屋のコピーみたいでもある。
 「寐粉(ねこ)」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 「1 古くなって使えなくなった粉。ひねこ。
  2 継粉(ままこ)のこと。」

とある。

   末の五器頭巾に帯て夕月夜
 猫口ばしる荻のさはさは       素堂

 「頭巾」は「トキン」仮名が振ってあり、この場合は山伏のかぶる帽子の「頭襟(ときん)」のこと。お椀をひっくり返したような形をしている。
 芝居か何かの場面に見立てているのだろう。お椀を紐で縛って頭襟に似せた偽山伏に、猫が荻を揺らして「さはさは」と言う。
 芭蕉の句は今更言うまでもない。

 夕顔の白ク夜ルの後架に紙燭とりて  芭蕉
 侘テすめ月侘斎がなら茶哥      同
 芭蕉野分して盥に雨を聞夜哉     同
 櫓の声波ヲうつて腸氷ル夜やなみだ  同

 其角の「樽うた」も何だこれはという感じだ。

   樽うた
  鉢たたき鉢たたき 暁がたの一声に
  初音きかれて 初がつほ
  花はしら魚 紅葉のはぜ
  雪にや鰒を ねざむらん
  おもしろや此 樽たたき
  ねざめねざめて つねならぬ
  世を驚けば 年のくれ
  気のふるう成 ばかり也
  七十古来 まれなりと
  やつこ道心 捨ごろも
  酒にかへてん 樽たたき
  あらなまぐさの樽扣やな
 凍死ぬ身の暁や樽たたき       其角

 だいぶはっちゃけてます。
 最後に千春の表題作。

 流石におかし桜折ル下女の武蔵ぶり  千春

 千春は京都の人で、何とあの季吟が序を添えている。

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