今日は向島百花園に行った。萩のトンネルもようやく見頃になり、彼岸花も咲いていた。女郎花、桔梗、紫苑などの花はもとより、瓢箪、糸瓜、蛇瓜などの実もなっていた。
園内には句碑がたくさんあって、
朧夜やたれをあるしの墨沱川 永機
黄昏や又ひとり行く雪の人 梅年
うつくしきものは月日ぞ年の花 月彦
など明治初期に活躍した最後の俳諧師たちの息吹が感じられる。
それでは「名月や」の巻の続き。
十一句目。
きりかい鷹の鈴板をとく
船上り狭ばおりて夕すずみ 涼葉
鷹狩りも終わり、船で戻って夕涼みといったところか。
十二句目。
船上り狭ばおりて夕すずみ
軽ふ着こなすあらひかたびら 千川
「あらひかたびら」は西鶴の『好色一代男』に出てくる「あらひがきの袷帷子」か。「あらひがき」は色の名前で、洗われて色が薄くなったような柿色のことだという。
芭蕉の元禄三年の発句に、
川風や薄柿着たる夕涼み 芭蕉
というのがあるが、この薄柿より更に薄い柿色なのだろう。
柿渋の衣はかつては穢多・非人の着るものだったが、まあ歌舞伎役者も身分としては非人だし、むしろそのアウトローっぽさがかっこよかったのではないかと思う。
十三句目。
軽ふ着こなすあらひかたびら
伏見まで行にも足袋の底ぬきて 芭蕉
この頃の伏見は秀吉の時代の繫栄の跡形もなく荒れ果てていた。
伏見の撞木(しゅもく)町には遊郭があったが規模も小さく高級な遊女がいるわけでもなく、京のあまり金のない男が徒歩で遊びに行くようなところだった。
芭蕉の時代より十年くらい後になるが、大石内蔵助がここで遊んでたといわれている。今の近鉄伏見駅の近く。
伏見も広く、最近悲惨な事件のあった京アニ第一スタジオは六地蔵のほうで、だいぶ離れている。
十四句目。
伏見まで行にも足袋の底ぬきて
食のこわきも喰なるる秋 此筋
「食(めし)のこわき」は強飯(こわいい)のことで、小豆の入ってない強飯は白蒸(しらむし)とも言った。
コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「〘名〙 小豆(あずき)を入れない白いこわめし。小豆を入れた赤飯に
対していう。しろむし。
※浮世草子・当世乙女織(1706)六「伏見までの夜食にせよとて赤飯白(シラ)むし餠酒を小船に積でくばりありく」
とある。伏見へ行くときの弁当の定番だったか。
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