2019年9月18日水曜日

 今日も午後から雨が降った。朝には月が見えていたが。
 まあ、とりあえず何を書くか決まらない時には、俳諧を読んで行くのがいいだろう。まだ読んでない俳諧は無数にあるし、読めば何かしら得るものがあると思う。
 なかなか晴れなくても、雲間に月が顔をのぞかせた時にはやはり感動するし、何か救われたような気分になる。仕事帰りで疲れているときならなおさら癒される。
 そういうわけで元禄五年の江戸も雨が多かったのか、八月十五日の興行で江戸在勤中の大垣藩士が集まった時の発句はこれだった。

 名月や篠吹雨の晴をまて     濁子

 「篠」は『校本芭蕉全集』第五巻(小宮豊隆監修、中村俊定校注、1968、角川書店)では「ささ」とルビがふってあるが、『芭蕉年譜大成』(今栄蔵、1994、角川書店)では「すず」となっている。
 コトバンクの「大辞林 第三版の解説」には、

 「すずたけ(篠竹)」の異名。 「今夜誰-吹く風を身にしめて/新古今 秋上」

とある。引用されている歌は、

 今宵誰すず吹く風を身にしめて
     吉野の嶽の月を見るらむ
           従三位頼政(源頼政、新古今集)

で、従三位頼政は「実や月」の巻の十五句目での「三位入道」の取り成しのところでも登場した。
 後ろに「吹」の文字があるから、「篠吹」を「すずふく」と詠むのはなるほどと思う。
 この句は「名月は篠吹雨の晴をまてや」の倒置だが、頼政の歌を踏まえてるとして読むなら、篠吹く風だけでなく雨まで降っているが、晴れるのを待てば身に染みる名月を見るだろう、という意味になる。
 濁子は元禄六年一月の大垣藩邸千川亭興行の「野は雪に鰒の非をしる若菜哉」の巻のところでも紹介したが、コトバンクの「デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説」に、

 「?-? 江戸時代前期-中期の武士,俳人。美濃(みの)(岐阜県)大垣藩士。江戸詰めのとき松尾芭蕉(ばしょう)にまなぶ。絵もよくし「野ざらし紀行絵巻」の絵をかく。杉山杉風(さんぷう),大石良雄らと親交をむすんだ。名は守雄。通称は甚五兵衛,甚五郎。別号に惟誰軒素水(いすいけん-そすい)。」

とある。
 この発句に芭蕉は、

   名月や篠吹雨の晴をまて
 客にまくらのたらぬ虫の音    芭蕉

と和す。
 芭蕉が脇を詠んでいるところから、芭蕉庵での興行と思われる。
 たくさんお客さんが来て、雨が止んで名月が見られるのを待っているというのに、枕が足りませんな、といったところか。この日は濁子、千川、凉葉、此筋の四人が訪れていた。
 「虫の音」はこの場合は放り込み。雨が止めば一斉に鳴きだす虫も、今はどこかで眠っていると見るならば、足らないのは虫のための枕とも取れる。
 第三。

   客にまくらのたらぬ虫の音
 秋をへて庭に定る石の色     千川

 新しく建てられた第三次芭蕉庵もひと秋をへて、ようやく庭石の置き場所も定まり、虫が鳴いているが、まだ枕は足りない、となる。
 第一次芭蕉庵は最初の深川隠棲の時のもので、天和の大火で焼失した。
 第二次芭蕉庵はそのあと再建されたが、『奥の細道』に旅立つ時に人に譲った。
 『奥の細道』の旅のあと、しばらく関西に滞在していた芭蕉が、元禄五年に江戸に戻ってきて、その時に作られたのがこの第三次芭蕉庵だった。

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