2019年9月23日月曜日

 台風が日本海を通過していったせいか、暑くて風が強かった。
 そういえば、日本海って韓国だと東海(トンへ)というんだっけ。まあ、難波の芦は伊勢の浜荻ってところか。
 呼び名なんてのは人間が便宜的につけたものだからいくつあってもいい。猫の名前と一緒だ。それを一つにしようとすれば争いが起こったりする。
 それでは「名月や」の巻の続き。

 十五句目。

   食のこわきも喰なるる秋
 月影は夢かとおもふ烏帽子髪   濁子

 「烏帽子髪」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「 烏帽子をかぶる時の髪の結い方。髪を後部で束ねて、そのまままっすぐに上へ立てた型。烏帽子下(えぼしした)。」

とあり、烏帽子下のところには、

 「俳諧・桜川(1674)春一「大ふくの茶筅髪かや烏帽子下」

の句が引用されている。烏帽子下を茶筅にに喩えることにこの頃新味があったとするなら、茶筅髷という言葉はこの頃生まれた言葉か。織田信長が有名だが。本来はこの髷で烏帽子が落ちないように固定した。
 強飯は『源氏物語』末摘花巻にも出てきて、二条院に戻って寝込んいた源氏の所に頭中将がやってきて、

 「朝寝とは随分いい身分じゃないか。さては何かあると見たな。」
と言うのでむくっと起き上がり、
 「独り気楽に寝床でくつろいでいるところに何だ?内裏からか?」
と答えると、
 「そうだ。ちょっとした用事のついでだ。
 朱雀院の紅葉狩りの件で、参加する演奏者や舞い手が今日発表されるので、この俺が内定したことを左大臣にも伝えようと思って来たんだ。
 すぐに帰らなくてはならないんだ。」
と急がしそうなので、
 「だったら一緒に。」
ということで、お粥やおこわを食べて、二人一緒に内裏へと向い、二台の車を連ねたけど一緒の車に乗って、頭の中将は、
 「にしても、眠そうだな。」
と何か言わせようとするものの、
 「隠し事が多すぎるぞ。」
とぼやくのでした。

 (二条院におはして、うちふし給ひても、なほ思ふにかなひがたき世にこそと、おぼしつづけて、かるらかならぬ人の御ほどを、心ぐるしとぞおぼしける。思ひみだれておはするに、頭中将おはして、こよなき御あさいかな。ゆゑあらむかしとこそ、思ひ給へらるれといへば、おきあがり給ひて、こころやすきひとりねの床にて、ゆるびにけり、うちよりかとのたまへば、しか、まかではべるままなり。朱雀院の行幸、けふなん、がく人、まひ人さだめらるべきよし、うけたまはりしを、おとどにもつたへ申さんとてなむ、まかで侍る。やがてかへり参りぬべう侍りと、いそがしげなれば、さらば、もろともにとて、御かゆ、こはいひめして、まらうどにもまゐり給ひて、引きつづけたれど、ひとつに奉りて、猶いとねぶたげなりと、とがめ出でつつ、かくい給ふことおほかりとぞ、うらみ聞え給ふ。)

という場面がある。王朝時代では遅れた朝食をとるときにお粥と強飯を食べることはよくあったことなのか。それにしても炭水化物に炭水化物だ。
 古代では強飯のほうが普通で、むしろ水で炊いたご飯をお粥と呼んでいたという。
 ただ、この場合普段食べないものを食べなれてということだから、舞台は古代ではなく、既に烏帽子をかぶる習慣のなくなって烏帽子髪(茶筅髪)だけが残った戦国時代、落武者の風情と見た方がいいのだろう。

 「人間五十年
 下天の内をくらぶれば
 夢幻のごとくなり」

なんて敦盛を歌いだしそうだ。
 十六句目。

   月影は夢かとおもふ烏帽子髪
 殿の畳のふるびたる露      千川

 畳の上に寝ているのなら落武者ではない。江戸時代の改易や減封によって没落したお殿様のことだろう。
 十七句目。

   殿の畳のふるびたる露
 花咲ば木馬の車引出して     芭蕉

 当時の木馬は子供の遊び道具ではなく、乗馬の練習に使うものだった。コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」に、

 「日本では江戸時代に、武士の子弟の馬術の練習用としての木馬があった。木馬に、手綱(たづな)、障泥(あおり)などをつけ、鐙(あぶみ)の乗り降り、鞭(むち)の当て方を練習した。馬術を習うのに木馬を用いることは中国でもあったといわれている。また木馬は、乗馬に使用する鞍(くら)を掛けておく道具として用いられ、鞍掛とよばれた。」

とある。ある程度の重さがあるので、大八車に乗せて運んだか。
 老いて隠居した殿様は庭に桜の花が咲く頃には昔のことを思い出して木馬を庭に引っ張り出してみるが、木馬が去ったあとの部屋の畳もいつしか古びてしまった。これぞ「さび」といったところか。
 挙句。

   花咲ば木馬の車引出して
 ほこりもたたぬ春の南風     此筋

 強い春風は土ぼこりを巻き上げるが、ほこりも立たぬ程度のかすかな温かい風で、どうやらまだ花も散ることはないと、この巻は目出度く終わる。
 半歌仙ということでやや物足りないが、芭蕉さんの体調もそれほど良くなかったのだろう。冬になれば許六・洒堂を加えて、不易と流行のバランスを取った猿蓑調から、より初期衝動を重視する炭俵調の完成へ向かって加速してゆくことになる。

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