今日ようやく梅雨が明けた。明け方の空には細い月が見えて、水無月もあとわずか。
こうして毎日のように季節のことを話題にする、その延長線上に本来の発句というのはあったんだろうな。梅雨明けに待ってましたと‥何しよう。
それでは『俳諧問答』の続き。
「一、予が当歳旦・歳暮の事、二ツながらいひ捨也。中々三ツ物帳に出す覚悟にあらず。歳暮、猶いひ捨也。歳旦も姿ふるめかし。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.143)
歳旦帳は誰もが出すわけではなかった。許六は出してなかったようだ。
「蛤に弓初取合たる所、俗のしらぬかるき所とおもひて、姿のふるめかしき事もかまはず仕侍るなれ共、是仕損たるべし。達人などハせぬ事にてあるべし。此句ならでハ発句といふ物なきならバ、さもあるべし。沢山にいひ出さるる事なれバ、早速捨べき事也。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.144)
蛤に弓初めの句は不明。許六というと、
やつこ茶屋春の勢や弓初 許六
梅が香や通り過れば弓の音 同
といった句があるが、どちらも元禄五年の『旅館日記』のもの。
蛤も夫婦和合のお目出度いもので御節料理に用いるから、蛤と弓初めの取り合わせもありかもしれないが、いまひとつ狙いがはっきりしなかったのだろう。弓だけに。
まあ、おざなりな句で毎年歳旦帳を出すのは俗流の師匠のすることで、達人ならこれはという句ができないならわざわざ発表することもないということか。
「師遷化の後ハ、究め申宗匠なけれバ、自己ニ決定せぬ句など、出す物にハあるまじとおもひ侍る。向後よくたしなみ可申事也。
たとひ仕損じたり共、自己に決定してよきとおもひ侍らバ、一段たるべし。
中にふらりの句、人々ある事也。急度見究て、口外へ出さぬ事たるべし。心ひきひき、少の所に執心をかけて、一句ニなぐり置事、たしかに人々の上にあり。
翁のいひ給ふあやうき所の仕損じといふ類にハあらず。是等ハとかく下品の類の句也。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.144)
先師芭蕉がいた頃はお伺いを立ててお墨付きを貰って発表することもあったが、先師亡き後はそうもいかない。発表するかどうかの決断は自分でしなくてはならない。
発表すべきかどうか迷う句というのも、誰にでもあるものだが、しっかりと見究め、迷うような句なら発表しない方がいい。それでも捨てがたくてついつい発表してしまうことはありそうなことだが。
芭蕉の言っていたような、ルールすれすれがやや逸脱したようでも見所のあるような「あやうき所の仕損じ」でないなら、だいたいは駄作といえる。
0 件のコメント:
コメントを投稿