昨日の朝、今日の朝と続けてヒグラシの声を聞いた。
ヒグラシは連歌の「応安新式」でも秋の季語になっていて、近代俳句までそのまま受け継がれているが、実際には他の蝉が鳴き始める前に鳴き始める。
そこでヒグラシの句でもと思ったが、芭蕉の時代にヒグラシを詠んだ句はほとんどない。ネット上で、
日ぐらしや山田を落る水の音 諷竹
ほし合や蜩になる蝉の声 其角
蜩やづぶりと消て念仏水 正秀
という句を見つけるのがやっとだった。
おそらく、当時の人は蝉の種類に余り頓着せず、ヒグラシも蝉に含めて夏に詠んでいたのではないかと思う。芭蕉の「閑さや」の句も、宿に荷物を置いて夕方に立石寺を訪れたことを考えれば、あの蝉はヒグラシだったのではないかと思われる。
貞徳の『俳諧御傘』には、
「日ぐらし 秋也。一座一句の物也。文字も別に、虫のなりも声もかはりたれども、根本蝉と同類なれば蝉とは連のごとく、俳にも折を嫌が能也。ひぐらしを立入て今一句連にも侍れば、俳には蟪姑と声にいひて以上三句有べし。皆折をかふる也。」
とある。
「秋也。一座一句の物也。」は「応安新式」にある通り。
基本蝉なので連歌でも俳諧でも同じ懐紙に蝉と蜩を両方詠むべきではない。「蝉」も一座一句なので、懐紙を変えて蝉一句、蜩一句を詠むことができる。
「蟪姑」は蝉のこと。『荘子』「逍遥遊」に「蟪蛄は春秋を知らず」とある。俳諧の場合は「蟪姑」を含めて三句、懐紙を変えて詠むことができる。
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