あいかわらず一日中小雨が降っているような変わり映えのしない天気で、本当にこのまま秋になってしまいやしないか心配だ。日本はいくらでも米を買う金はあるが‥‥。
アメリカにつきたい北、中国によってしまった南、統一はいつの日か。
それでは「忘るなよ」の巻、挙句まで。
二十七句目。
水をしたむる蛤の銭
下帯の跡のみ白き裸身に 支考
ここから二句づつ詠むようになる。
前句を蛤を採る海人とする。
「下帯」は男性の褌と女性の腰巻の両方の意味がある。どちらでもいいのだが、男としては海女にしておきたいところだ。
江戸後期の浮世絵には赤い腰巻の海女がしばしば描かれている。肌の色を白く描いているが実際の海女は真っ黒に日焼けしていたと思われる。
もちろん男の褌の跡としてもいい。趣味の問題というとLGBT団体に怒られるかな。
二十八句目。
下帯の跡のみ白き裸身に
雲母坂より一のしにやる 如行
雲母坂(きららざか)は比叡山山頂に続く古道。「一のし」はこの古道の起点の一乗寺のことか。「乗せる」に掛けて用いてるのだろう。
このあたりは女人禁制だったから、前句を褌姿の駕籠かきとしたか。
二十九句目。
雲母坂より一のしにやる
末枯のクノ木に月の残りけり 如行
クヌギは葉が枯れても落葉せずに残る。
月が沈んだのかと思ったら、クヌギの木の陰に隠れてただけでまだ残っていた。
前句を単なる場所の設定にして流している。
三十句目。
末枯のクノ木に月の残りけり
あきやや寒き饅頭の湯気 支考
日本の饅頭は、一三四九年に来日した林浄因が伝えたものとされている。その後、奈良で饅頭が作られるようになった。古今集の奈良伝授を受けた林宗二もその子孫だという。
中国では饅頭はパンのような存在だし、韓国では餃子のことも饅頭と呼ぶが、日本では饅頭は食事ではなくスイーツとして広まった。各地に名物の饅頭ができたのもこの頃だった。
まだ月の残る朝早くから、街道や門前の町では饅頭を蒸す湯気が垂れ込めてたりしたのだろう。
二裏。
三十一句目。
あきやや寒き饅頭の湯気
日雀鳴篭の目ごとの物おもひ 支考
「日雀(ひがら)」はシジュウカラの仲間でコガラよりも小さい。秋の季語になっている。
篭の鳥は自由のない遊女や妾などの象徴としても用いられる。見世の格子窓の向こう見える遊女達の物憂げな姿が浮かんでくる。まあ、とにかくそんな楽しい仕事なんかじゃないからね。
篭目(かごめ)は一方では易で言う地天泰で、陽気の上昇を示す上向きの三角と陰気の降下を示す下向きの三角とが交わる陰陽和合の相を表わす目出度いものだったが、篭の鳥というネガティブの面との両面を持っていた。まあ、遊女でなくても、婚姻もまた陰陽和合、鶴と亀のお目出度さと裏腹に、女性が家の中に閉じ込められ、苗字や姓をつけて呼ばれることすらなかった。夫婦同姓は西洋文明による一つの開放であって、残念ながら日本の伝統ではなかった。
三十二句目。
日雀鳴篭の目ごとの物おもひ
木葉散しくのしぶきの屋根 如行
「のしぶき」はコトバンクの「大辞林 第三版の解説」に、
「① 檜皮ひわだ葺きで、檜ひのきの皮を、葺き足を短く厚く葺いたもの。
② 葺き板を重ねて釘で打ち留めた屋根。」
とある。遊郭の屋根がどちらなのかはよくわからない。ただ、①の意味だと神社やお寺へ展開できるので、それを見越してのことか。
三十三句目。
木葉散しくのしぶきの屋根
何事をむすこ坊主のやつれけむ 如行
やはりというかお寺のこととして坊主を登場させた。両吟で二句続けて詠む場合は、こういうふうに次の句を考えて展開できる。
木の葉散る桧皮葺のお寺でいかにも寂しげだが、一体どんな世俗の憂きことを抱えてやつれてしまったのか。
まあ、若いうちなら都会に出て遊んでみたいし、恋もしてみたいということか。
三十四句目。
何事をむすこ坊主のやつれけむ
ともし火のこる宵の庚申 支考
庚申待ちをその原因とする。庚申待ちはコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、
「庚申(かのえさる)の日、仏家では青面金剛(しょうめんこんごう)または帝釈天(たいしゃくてん)、神道では猿田彦神を祭り、徹夜する行事。この夜眠ると、そのすきに三尸(さんし)が体内から抜け出て、天帝にその人の悪事を告げるといい、また、その虫が人の命を短くするともいわれる。村人や縁者が集まり、江戸時代以来しだいに社交的なものとなった。庚申会(こうしんえ)。《季 新年》」
とある。
三尸の虫はやがて猿田彦大神と結びついたせいか、「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿の姿で表わされるようになった。
庚申待ちは主に男どもの宴会に終始するところがあって、女性はむしろ裏方に廻り、まして男女の同衾はタブーとされていた。女性はむしろ二十三夜待ちで発散していたようだ。
若いお坊さんもホスト役だから、村の長老達に気を使いながら、結構神経をすり減らしたりしたのだろう。
三十五句目。
ともし火のこる宵の庚申
初花に酒のかよひを借よせて 如行
支考の順番だが、ここは如行に花を持たせたか。
庚申待ちに酒は付き物だったようだが、あまり飲むと寝ちゃいそうだから、そこは程々だったのだろう。
酒はむしろ昼間に花の下で飲むもので、その時は人の通い帳借りて勝手に酒を注文したりして悪事も働いたが、夕方になるとそのまま庚申待ちに入る。酔いつぶれて寝ちゃって、この罪は天帝の知ることになるんだろうな。
挙句。
初花に酒のかよひを借よせて
かすみはるかに背戸の撞部屋 支考
搗米屋が広まる前は家の裏手の小屋で自分で精米していたのだろう。こんな所で密かに花見をする者もいたか。
蕉風確立期のまでの風だと出典の解説が多くなるが、軽みになると当時の生活についての解説が必要になる。
不玉・己百の両吟部分はそのどちらでもなくて、あまり言うことがない。それが如行・支考の両吟になると、急に調べることが多くなる。
特に、支考の風はいわゆるあるあるネタではなく、かなり空想が入っていて、ありそうもないけど面白いという所を狙ってくる。
今日で言えば大槻ケンヂの才能に近いのかもしれない。「リュックサックに猫詰めて」みたいなのは実際にやる人はいないだろうけど、でも何となくそれにリアリティーを持たせてしまうのが大槻ケンヂの才能だ
虚において実を行うというよりも、虚なんだけど実にしてしまうのが支考だったのかもしれない。
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