朝は時折雨が強く降ったがその後止み、近所の盆踊りは無事に行われた。
そういえば十日ぐらい前になるが、沖縄のジュゴンの解剖が行われ、腹部にエイの棘があったが死因は特定できなかったという。今問題になっているプラスチックごみとは関係なかったようだ。
それでは『俳諧問答』の続き。
「一、歳暮『牛の尾』の事、是以予ハうれしからず。『牛尾』、殊の外面白、千人ずきの句たるべし。
されバ貴句にハ不足とはいはんか。其すく所にしたるき所侍る故に、俗のよろこぶ事うたがひなし。
退て案ずるに、季吟門弟ニ可仙とやらいへるもの有。大方かやうの味までハ、其時代参たる作者也。しかとハおぼえね共、新古の沙汰いぶかし。両句共ニ、貴句ニハ不足といはんか。中々塵俗の及ぶ所ニあらず。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.141~142)
歳暮の句は『俳諧問答』の横澤三郎注には、
としもはや牛の尾ほどのたより哉 去来
だという。元禄十年は丑年だった。芭蕉が『野ざらし紀行』の旅で
誰が聟ぞ歯朶に餅おふうしの年 芭蕉
の句を詠んでからちょうど十二年、干支が一回りしたわけだ。
牛は巨体でも尻尾は小さい。今年も残りわずかで、牛の尻尾のような頼りないわずかな日数を残すのみになったと、イメージとしては分かりやすい。
また、「牛の尾」は「鶏口牛後」という言葉を連想させる。大きな組織にくっ付いてゆくよりも、小さな組織のリーダーになれという意味。スポーツで言えば名門クラブの補欠よりは弱小クラブのレギュラーになったほうが良いということか。とはいえ寄らば大樹の陰で、飛び出してゆく勇気もないまま牛の尻尾にぶら下がり、今年一年も過ぎてしまったかと、そんな寓意も読み取れる。
許六が「殊の外面白、千人ずきの句」と言うのは、そういう寓意も含めてのことだろう。
ただ、「其すく所にしたるき所侍る故に、俗のよろこぶ事うたがひなし。」とも言う。「したるき」はweblio辞書の「三省堂 大辞林」に、
「したる・し( 形ク )
① 衣などがべたついている。 「しづのめも大路井筒に夕すずみ-・きあさのころもすすぎて/夫木 36」
② ものの言い方が甘ったるい。舌たるい。 「すこし-・き野郎をまねき/浮世草子・置土産 5」
③ にぶい。のろのろしている。 〔日葡〕」
とある。
「まあ、そうだな、今年も終っちゃったな」という緩さだけの句で、多くの人は共感するけど、だから何?って感じの句ではある。蕉門的な鋭さはない。
可仙についてはよくわからなかた。
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