2019年7月9日火曜日

 昨日の続き。

 「忘るなよ」の巻は四つに分けられる。
 一つは会覚の発句と芭蕉の脇。芭蕉の脇は芭蕉が羽黒山南谷を発ち、酒田へ行きそれから象潟へ行き再び坂田に戻ってくる間に詠まれている。
 二つ目はこの発句と脇に、不玉が曾良の『俳諧書留』にあるのと違う第三を付け、不白、釣雪、主筆が句を付けて成立した表六句。
 三つ目は己百と不玉の両吟による初裏。
 四つ目は如行と支考の両吟による二の表裏。
 まず面六句を見てみよう。

   餞別
 忘なよ虹に蝉鳴山の雪      会覚
   杉のしげみをかへりみか月  芭蕉
 弦かくる弓筈を膝に押当て    不玉
   まへ振とれば能似合たり   不白
 ばらばらに食くふ家のむつかしく 釣雪
   漏もしどろに晴るる村さめ  主筆

 発句と脇は昨日見たとおりだが、「杉のしげみ」は書き間違いか記憶違いか、曾良の『俳諧書留』の「杉の茂り」が正しいと思う。
 第三は作り直されている。このせいで曾良の四句目がなくなってしまった。

   杉のしげみをかへりみか月
 弦かくる弓筈を膝に押当て    不玉

 弓筈(ゆはず)は弓の両端の弦をかけるところ。「弦かくる弓筈」はそのまんまで弓筈の説明してしまっている。
 弓筈を膝に押し当てる仕草は「胴造り」と呼ばれる動作で、玉川学園の弓道部のホームページにある「全日本弓道連盟、弓道教本第一巻より抜粋」には、

 「胴造りは、足踏みを基礎として両脚の上に上体を正しく安静におき、腰をすえ、左右の肩を沈め、背柱および項(うなじ)を真直ぐに伸 ばし、総体の重心を腰の中央におき、心気を丹田におさめる動作である。
 この場合、弓の本弭は左膝頭におき、右手は右腰の辺にとる。 以上の動作と配置によって全身の均整を整え、縦は天地に伸び、横 は左右に自由に働けるような、やわらかい且つ隙のない体の構えを作るとともに気息をととのえることが肝要である。
 こうした鎮静的な動作は、つぎの活動的な動作へ移る前提であり、 胴造りは終始行射の根幹となり、射の良否を決定する。 胴造りは、外形的には一見きわめて単純な動作のようにみえるが、 内的にはまことに重要なものである。」

とある。
 句はただ弓道の動作を言うだけで、前の「磯伝ひ」の第三のほうが良かったように思える。芭蕉の指導がない分だけ後退した感じがする。
 四句目。

   弦かくる弓筈を膝に押当て
 まへ振とれば能似合たり   不白

 不白は名前からすると不玉の弟子のようだがよくわからない。曾良の『旅日記』の六月二十五日の所に、

 「廿五日 吉。酒田立。船橋迄被送。袖ノ浦向也。不玉父子・徳左・四良右・不白・近江や三郎兵・かがや藤右・宮部弥三郎等也。」

とある。
 「まへ振(ぶり)」は『校本芭蕉全集 第四巻』(小宮豐隆監修、宮本三郎校注、一九六四、角川書店)の注に、

 「魚網を打ったり曳いたりする際に腰に着ける藁・棕櫚などで作った前垂れ」

とある。
 コトバンクの「大辞林 第三版の解説」には、

 「元服前の少年の、前髪をつけた姿。 「あつたら-を惜しきは常の人こころ/浮世草子・武道伝来記 8」

とある。
 この場合は「とれば」とあるから前垂れのことか。
 漁師に身を落としてはいるが、元は立派な武士だったということか。
 五句目。

   まへ振とれば能似合たり
 ばらばらに食くふ家のむつかしく 釣雪

 釣雪は『校本芭蕉全集 第四巻』の注に「京都の僧」とある。羽黒山本坊での「有難や雪をかほらす風の音 芭蕉」の発句による興行に参加している。
 「食くふ」は「めしくふ」と読む。
 前句との関係が分かりにくいが、食事の時間がみんな違っていたりすると、確かに面倒くさい。漁師の家ではありがちなのか。
 六句目。

   ばらばらに食くふ家のむつかしく
 漏もしどろに晴るる村さめ   主筆

 家族がばらばらというところから、雨漏りのする貧しい家としたか。

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