今日は旧暦の六月四日だが、新暦では七夕の前夜。毎度のことながら新暦の七夕は梅雨のさ中で晴れることは少ない。明日はどうだろうか。
それでは「温海山や」の巻の続き。
二表。
十九句目。
おぼろの鳩の寝所の月
物いへば木魂にひびく春の風 不玉
鳩を山鳩(キジバト)のこととして、山奥の木魂を付ける。
二十句目。
物いへば木魂にひびく春の風
姿は瀧に消る山姫 芭蕉
木魂に山姫というと「応安新式」の「非人倫」の所に出てきてた。山姫は神と妖怪の両方の意味がある。「非人倫」で「非神祇」。
二十一句目。
姿は瀧に消る山姫
剛力がけつまづきたる笹づたひ 曾良
山の怪異に山で荷物をかついで運ぶ剛力もびっくりしてけ躓く。このあと山中温泉で詠む、
青淵に獺の飛こむ水の音
柴かりこかす峰のささ道 芭蕉
の句にも影響を与えてたかもしれない。
「強力(ごうりき)」はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、
「山伏,修験者 (しゅげんじゃ) に従い,力役 (りょくえき) をつとめる従者の呼称。修験者が,その修行の場を山野に求め,長途の旅を続けたところから,その荷をかついでこれに従った者。中世になると社寺あるいは貴族に仕え,輿 (こし) をかつぐ下人をも強力と称した。現在では,登山者の荷物を運び,道案内をする者を強力と呼ぶが,これは日本の登山が,修験者の修行に始ることに由来する。」
とある。
二十二句目。
剛力がけつまづきたる笹づたひ
棺を納るつかのあら芝 不玉
剛力が運んでたのは棺だった。「棺(くわん)を納(おさむ)る」と読む。
二十三句目。
棺を納るつかのあら芝
初霜はよしなき岩を粧らん 芭蕉
ただの何の変哲もない岩も初霜で薄っすらと化粧したようになる。それを死化粧(しにけしょう)に喩えたか。
二十四句目。
初霜はよしなき岩を粧らん
ゑびすの衣を縫々ぞ泣 曾良
『校本芭蕉全集 第四巻』(小宮豐隆監修、宮本三郎校注、一九六四、角川書店)の注は匈奴に嫁いだ王昭君の俤とする。
二十五句目。
ゑびすの衣を縫々ぞ泣
明日しめん雁を俵に生置て 不玉
王昭君は匈奴へと出発する時に琵琶を奏でると、雁が飛ぶのを忘れて落ちたという伝説があり、落雁美人は画題にもなった。
ここではそれをそのまま付けてしまうと王昭君ネタが三句に渡ってしまうため、前句の「ゑびす」を十月二十日の恵比寿講のこととし、恵比寿講のご馳走の雁とした。
後の『炭俵』にも、
振売の雁あはれなりゑびす講 芭蕉
の発句がある。
明日には喰われる運命の雁を哀れに思い、恵比寿講のための服を縫いながら女は涙する。
二十六句目。
明日しめん雁を俵に生置て
月さへすごき陣中の市 芭蕉
『図解戦国合戦がよくわかる本』(二木謙一監修、二〇一三、PHP研究所)によると、
「秀吉が鳥取城を攻めたときのこと。三万余の大軍で鳥取城を包囲した秀吉は、兵糧攻めを敢行した。このとき、秀吉は軍の士気が低下しないよう、陣中に町屋を建て、市を開かせた。また歌舞の者を呼んで兵士達を楽しませてもいる。」
という。
合戦も長引くと、兵士達の私的な物資の調達のために市が立つことはそう珍しくもなかっただろう。秀吉はそれを自ら指揮して行わせた。
歌舞の者というが、こういう人たちは同時に遊女である事も多く、戦場に売春婦が群がるのは洋の東西問わずどこにでもあったのではないかと思う。
ただ、旧日本軍のようにそれを国策でやったのはまずかった。たとえ直接手をくださないにせよ、軍に忖度する人たちが裏社会の人たちと通じて荒っぽいことをする結果になった。
「月さへすごき」というのはそういう陣中の、明日の命をも知れぬ兵士の捨て鉢なすさんだ空気をよく表わしている。
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