2019年7月26日金曜日

 『俳諧問答』の続き。

 「一、先生当歳旦五文字、『元日や』の事、予會てうれしからず。時代四五年もふるかるべし。
 もはや『元日や』といふ五文字ハ、よくよくあたらしミをはしらせ侍らずバ、をきがたからんか。ことの外いひふるしたる五文字也。此事三四年已前より、つぶやき置侍る事也。
 蓬莱と成共、大ぶくと成共、かるく侍らバ、一入うれしかるべし。先生如何おもひ給ふぞ、ききたし。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.141)

 この歳旦は元禄十一年の、

   落柿舎歳旦
 元日や土つかうだる顔もせず  去来

の句だろうか。「つかうだる」は「つかんだる」で、普段は土にまみれているお百姓さんも正月はそんなそぶりも見せずということか。
 去来にはもう一句、

 元日や家にゆづりの太刀帯ン  去来

の句もあるが、これは上五を「初春や」としたものが『貞享三年其角歳旦帳』にあるというので、かなり前の句だ。
 許六にも、

 元日や関東衆の国ことば    許六

の句があるが、これも古い句のようだ。
 『去来抄』ではこの句は切れ字「や」の用法の問題として提起されているが、ここでは流行の問題として提起されている。
 撰集では「元旦や」と言った句はほとんど見られないから、歳旦帖で「元日や」の上五が流行った時期があったのだろう。
 四五年といえば『炭俵』の頃で、『猿蓑』の頃の季語をまず主題として置いて、そこからあるあるネタを探る手法が一通り出尽くしてしまった頃ではないかと思う。
 『猿蓑』では時雨というと、

 時雨きや並びかねたる魦ぶね     千那
 幾人かしぐれかけぬく勢田の橋    丈艸
 鑓持の猶振たつるしぐれ哉      正秀
 廣沢やひとり時雨るゝ沼太良     史邦
 舟人にぬかれて乗し時雨かな     尚白

のように時雨あるあるで押していった時期だった。
 梅の句にしても、

 梅が香や山路獵入ル犬のまね      去来
 むめが香や分入里は牛の角      句空
 痩藪や作りたふれの梅の花      千那
 灰捨て白梅うるむ垣ねかな      凡兆

といった句が好まれた。歳旦帖でも「元旦や」と五文字を置いて元旦あるあるを続けるパターンがあったのかもしれない。
 『続猿蓑』の頃になると、

 この比の垣の結目やはつ時雨     野坡
 しくれねば又松風の只をかず     北枝
 けふばかり人も年よれ初時雨     芭蕉
 一時雨またくづをるゝ日影哉     露沾
 初しぐれ小鍋の芋の煮加減      馬見

と単純な時雨あるあるは影を潜めている。
 何事にも流行というのはある。純文学だって流行はあるし、近代俳句も時代によって変化している。ただ、それは当時の人なら敏感に意識していたけど、何百年も経過してしまうと大雑把に元禄の頃の風になってしまい、細かな変化を辿るのは難しくなる。
 余談だが、アニメの世界も京アニの全盛の頃は「日常系」のはやった時代だった。今は異世界転生の全盛期で、それもそろそろ出尽くしかもしれない。
 「小説家になろう」というサイトから次々とヒット作が出るようになると、それまでのラノベの約束だったティーンエージャーが主人公というのが崩れて、転生した大人が主人公になるケースが増えている。読者層が高齢化してきたのもあるかもしれない。
 『異世界かるてっと』はそんな中で異世界転生もののキャラたちが学園という日常系の世界に閉じ込められている。
 ジョンレノンの死もちょうどニューウェーブの台頭してきた頃で、時代の変わり目だった。京アニも日常系の終わりを象徴してしまうのだろうか。それとも次に復活する時にはまた最先端のアニメを作ってくれるのだろうか。

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