テレビで「未来のミライ」というアニメをやっていた。最初のシーンは「さざんかの宿」?曇りガラスを手で拭いて‥‥。
では「忘るなよ」の巻の続き。
十三句目。
横川に月のはづる中ぞら
降やめど傘はすぼめぬ秋しぐれ 不玉
時雨は和歌では秋にも冬にも詠むもので、秋の場合は紅葉を染める時雨になる。時雨の上がった後の月は冬に詠む場合が多い。ただ、ここでは月が出た後なので、あと二句秋の句を続けなくてはいけない。
十四句目。
降やめど傘はすぼめぬ秋しぐれ
八朔ちかきふところの帳 己百
八朔は旧暦八月一日のことで、日頃お世話になっている人に贈り物をする習慣があった。ただ、「八朔ちかき」だとまだ八月になってないから七月初秋で時雨の季節ではない。
昔は正月とお盆の前に決算で、それまで通い帳で購入してきた代金をまとめて支払ったが、「八朔ちかき」だとそれを過ぎて新しい帳面になってということだが、贈り物の買い物もしなくてはいけないし、というところだ。
十五句目。
八朔ちかきふところの帳
薄縁の下に雪駄をはき込て 己百
「薄縁(うすべり)」はコトバンクの「大辞林 第三版の解説」に、
「藺草(いぐさ)で織った筵むしろに布の縁をつけた敷物。」
とある。「はき込」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「あらたまったよそ行きの履物や目立つ履物などをはく。
※俳諧・継尾集(1692)四「八朔ちかきふところの帳〈己百〉 薄縁の下に雪踏をはき込て〈同〉」
とある。
八朔の頃はまだ暑い季節で、部屋には茣蓙が敷いてあったりする。雪駄は風流人に好まれたと言うから、「八朔ちかき」とはいいながら、八朔の挨拶回りの句にしてしまったか。
十六句目。
薄縁の下に雪駄をはき込て
しばし多葉粉をとむる立願 不玉
立願は願掛けのこと。雪駄を履いて出かけた先は神社かお寺か。願掛けの時には何か好きなものを絶ったりする。タバコが好きだったのだろう。
十七句目。
しばし多葉粉をとむる立願
夜もすがら笈に花ちる夢心 己百
夜の立願というとお百度参りだろうか。夜もすがら何度も何度も繰返しお参りしてると、いつしかランナーズハイのような状態になるのかもしれない。まして桜の季節ならなおさらだ。
十八句目。
夜もすがら笈に花ちる夢心
河原おもてを渡る朝東風 不玉
前句を旅人の笈としたか。河原で一夜を過ごし、花の散る夢を見ているといつの間に朝が来ていて、朝の春風が吹いていた。
このあたりの句は、どこか言い足りないことが多くて面白さが伝わりにくい。
八朔にどういう物語があったのか、何の願掛けをしたのか、旅人の花散る夢心にどういう思いが込められていたのか、そのあたりの深みにまで切り込むことが出来ず、表面をさーっと撫でるだけになってしまっている。
古典の出典をはずしていることから、『奥の細道』の頃より後の、これから見る如行と支考の両吟の詠まれた元禄五年のほうに近いのかもしれない。
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