2019年7月22日月曜日

 参議院選挙も終った。結局日本国民は現状維持を選択したか。
 アベノミクスもとっくに限界は見えているというのに、それに代わる策は与党にも野党にもなかった。年金問題についてもやはりどちらにも決定的な策はないまま、また日韓関係についても与党野党ともにひたすら沈黙し、しらけきった選挙になってしまった。このままだとオリンピックの後が恐い。
 それでは久しぶりになるが『俳諧問答』の続きを。

 「一、文通ニ云ク、風国当歳旦脇の事、是愚集ノ句に似侍るよし、よく気をつけらるる事也。此句全ク等類の罪にあるまじ。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.138)

 この等類の句については風国の歳旦の脇も許六の集の句も残ってないようだ。岩波文庫の注には「風国の歳旦の脇句、及び許六の集の名未詳。」

とある。

 「藪も動かぬ嵯峨のありあけ
 此句もとハ、
 嵯峨の在家のあり明の月
とせしニ、打こし居所あるに寄て、此風情をいひかへたり。
 只さびしく閑なる景曲一遍なり。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.138)

 これは李由・許六編『韻塞』の、

 雌を見かえる鶏のさむさ哉    木導

を発句とする木導・朱㣙・許六の三吟の十四句目で、

   皺の手に琥珀の数珠のたふとさよ
 藪も動かぬ嵯峨の有明      朱㣙

の句で、前句は、

   座敷へ舁(かき)て上る駕物
 皺の手に琥珀の数珠のたふとさよ 木導

だから、打越の「座敷」が居所になる。
 「駕物」は駕籠者(かごもの)、つまり駕籠かきのことか。駕籠のまま座敷に上がるというのは普通ではないが、乗っていたのが皺々の手の老僧で、足腰もおぼつかないならやむをえないか。
 朱㣙(㣙は宙の異体なので「しゅちゅう」か)の句は、この数珠の老人を出家僧ではなく在家として、嵯峨のあたりに住んでいるとし、最初は、

   皺の手に琥珀の数珠のたふとさよ
 嵯峨の在家のあり明の月     朱㣙

とする。長年連れ添った妻が亡くなり、その供養をしているのだろうか。嵯峨のあだし野はかつて鳥辺野と同様風葬の地だった。
 在家は仏教徒の一つのあり方で居所とは思えないが、「家」の字を嫌ったのであろう。在家と言わずして在家を匂わす、

   皺の手に琥珀の数珠のたふとさよ
 藪も動かぬ嵯峨の有明      朱㣙

で治定された。

 「在家の二字をぬきてハ、一句の魂もなくなるといへ共、是非なく『藪も動かぬ』とハ仕かへ侍りぬ。
 此在家とこゑにてよませたるハ、さるミのの『晴天に有明月』の事ヲちから也。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.138~139)

 「さるミのの『晴天に有明月』」は、猿蓑の「鳶の羽も」の巻の二十九句目、

   おもひ切たる死ぐるひ見よ
 青天に有明月の朝ぼらけ     去来

の句をいう。
 死の覚悟を決めた武士の句の「おもひ切たる」を恋の未練を断ち切ることに取り成し、後朝の月の風景を付けている。猫の恋のようにうらやましくもなく、人は死のような苦しみを味わう。そこに明け方の月が何事も無いかのように静かにあたりを照らしている。「青天」は「青雲」と同じで明方のまだ暗い濃い青みがかかった空をいう。
 「藪も動かぬ」の静寂と厳粛な空気は、この去来の句からインスピレーションされたものだったようだ。
 どこか中世連歌の、

   罪の報いもさもあらばあれ
 月残る狩り場の雪の朝ぼらけ   救済(きゅうせい)

に通じるものがある。

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