2019年5月31日金曜日

 「応安新式」の続き。

 「一、可隔三句物
 月 日 星(如此光物) 雨 露 霜 霰(如此降物) 霞 霧 雲 煙(如此聳物) 木に草 虫与鳥 鳥与獣(如此動物)」(『連歌論集 下』伊地知鉄男編、一九五六、岩波文庫p.301)

 「光物(ひかりもの)」は江戸時代の俳諧では「天象」と呼ばれているが、「連歌新式紹巴注」には「天象に七夕・天河など夜分にも成也。」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.174)とある。
 月と日は三句隔てる。ただ、どちらかが光物ではない日次を表わす文字なら打越を嫌うだけになる。
 降物はその名の通り空から降ってくるものを言うが、露も降物に含まれる。「露が降りる」とはいうが、「露が降る」とは言わない。それでも降り物に含まれる。「霧が降る」という言い方はあるが霧は降物ではなく聳物になる
 聳物(そびきもの)は聞きなれない言葉だが、「聳く」はweblio古語辞典には、

 「①そびえる。
  ②(煙・雲・霧などが)たなびく。

とある。
 「木に草」は植物(うゑもの)が木類と草類に分けられるため、木と木、草と草は可隔五句物になるが、木と草は可隔三句物になる。竹は木でも草でもないので、木に対しても草に対しても可嫌打越物になる。
 「虫与鳥 鳥与獣」の虫類、鳥類、獣類は動物に含まれる。「女」が「如此動物」とあったのは、かつて人倫も動物に含まれてた時期があったからかもしれない。魚類というのはなくて水辺に含まれる。
 鳥と鳥、虫と虫、獣と獣は可隔五句物だが、鳥と虫、虫と獣、獣と鳥は可隔三句物になる。
 人倫はこの「応安新式」には何の記述もない。「連歌新式紹巴注」には、可嫌打越物のところに「人倫与人倫<我・誰之類、奥に在之>」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.159)とある。「体用事」の所には「人 我 身 友 父 母 誰 関守 主(如此類人倫也)」とある。
 鬼や龍といった架空の生き物は紹巴の頃には非生類になったようだが、今日では様々な種類の幽霊、妖怪、妖精、亜人、モンスター、宇宙人、ロボット、アンドロイドなどのキャラがあるため、「人外」という分類も欲しい所だ。人外と人外は可隔三句物、人倫と人外は可嫌打越物というのはどうだろうか。

 「一、可隔五句物
 同字 日与日 風与風 雲与雲 煙与煙 野与野 山与山 浪与浪 水与水 道与道 夜与夜 木与木 草与草 獣与獣 鳥与鳥 虫与虫 恋与恋 旅与旅 水辺与水辺 居所与居所 夕与夕(時分) 述懐与述懐 神祇与神祇 釈教与釈教 袖与袖 衣裳与衣裳(如此同類) 山与山名所 浦与浦名所」(『連歌論集 下』伊地知鉄男編、一九五六、岩波文庫p.301)

 「日与日 風与風 雲与雲 煙与煙 野与野 山与山 浪与浪 水与水 道与道」までは同字とあまり変わらないように思えるが、風に関しては「連歌新式永禄十二年注」に、

 「是は、風の名は五句去るべし、と云心也。嵐・山颪・野分・木枯等の事也。」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.80)

とある。煙と煙は紹巴の頃には可隔七句物になっていた。
 「夜与夜 木与木 草与草 獣与獣 鳥与鳥 虫与虫 恋与恋 旅与旅」は字ではなく、夜分・木類・草類・獣類・鳥類・虫類・恋・羇旅に分類される言葉同士を指すと思われる。
 「水辺与水辺 居所与居所 夕与夕(時分) 述懐与述懐 神祇与神祇 釈教与釈教 袖与袖 衣裳与衣裳(如此同類)」も同様、水辺・居所・述懐・神祇・釈教・衣装といった分類の言葉同士と、時分としての夕方に属するもの同士、が可隔五句物になるが、袖と袖は同字の延長のように思える。
 「山与山名所 浦与浦名所」は山に富士、浦に明石などをいう。

 「一、可隔七句物
 同季 月与月 松与松 竹与竹 夢与夢 涙与涙 船与舟 田与田 衣与衣」(『連歌論集 下』伊地知鉄男編、一九五六、岩波文庫p.301)

 同季というのは春の季語と春の季語、夏の季語と夏の季語などを言う。続ける分には春秋は五句、夏冬は三句までというルールがこのあとの「句数」の所に出てくる。途切れた場合は七句隔てなくてはならない。
 その外の、月・松・竹・夢・涙・船・田・衣などはのちに煙もここに加わったように、あまり頻繁に出てきても面白くないということで、難易度を調整するために選ばれたのではないかと思う。
 江戸時代の俳諧になると、歌仙という短い形式が用いられる機会が増えたせいか、可隔三句物は可嫌打越物に、可隔五句物は可隔三句物に改められたものが多い。

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