今日は生田緑地バラ園に行った。ことしも良く咲いていたし、人もたくさん来ていた。
北の飛翔体は短距離ミサイルでアメリカや日本の脅威にはならないということで、とりあえず問題なし。韓国の玄武-2Bやロシアの9K720「イスカンデル」と同様のものだという。射程は長くても五百キロくらいか。まあ、「名状しがたいミサイルのようなもの」と言っておけば良いのか。
脅威になるとしたら、三十八度線とそう離れてない所に首都を持つあの国くらいか。北の狙いが板門店宣言で取り決めた南北統一にあるとすれば、必要なのは現体制の延命のための支援ではなく受け入れ準備のほうで、それが整わないから、かなりいらいらしながら時間稼ぎしている可能性もある。
さて、今月の卯月の俳諧ということで『校本芭蕉全集』三巻・四巻・五巻をめくってみたが、この季節は芭蕉さんも暑さで体調を崩すことが多かったのか、この季節の興行は少ない。
とりあえず貞享二年四月四日、『野ざらし紀行』の旅の途中、鳴海の知足亭での九吟二十四句興行をみていこうと思う。猫の句も一句ある。
発句は、
杜若われに発句のおもひあり 芭蕉
で、何ともシンプルなメッセージだ。知足亭の庭に杜若が咲いているのを見て、今日はお招きくださってどうもありがとう、それでは発句といきましょうか、というだけの句だ。発句は本来こういうものでよかった。
『伊勢物語』で在原業平が三河八橋で詠んだとされる「かきつばた」の歌を踏まえているという説もある。三河八橋は鳴海の隣の池鯉鮒宿(ちりゅうしゅく)の先にある。距離にして三里くらいか。電車だと九駅。
脇は主人の知足が付ける。
杜若われに発句のおもひあり
麦穂なみよるうるほひの末 知足
麦の穂のたわわに実ろうとしている今日この頃、我々もこうして打ち揃い興行ができるのも、みんな芭蕉さんの「うるほひ」ですと、単純に持ち上げて返す。脇は本来こういうものでよかった。
第三。
麦穂なみよるうるほひの末
二つして笠する烏夕ぐれて 桐葉
桐葉は熱田で芭蕉に宿を提供している。この興行にも同行した。
麦畑に烏は付き物で、海の向こうのフィンセント・ファン・ゴッホも絵に描いている。
「笠する」は笠擦るで、威嚇のためによく行うタッチアンドゴーのことか。一羽ならともかく二羽もとなるとびっくりする。
「笠する」を笠を被るの意味に取ると、二人の僧の比喩にもなる。
四句目。
二つして笠する烏夕ぐれて
かへさに袖をもれし名所記 叩端
「名所記」はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、
「江戸時代前期の地誌,名所旧跡案内記のなかで文芸的色彩の濃い書の総称。仮名草子の『竹斎』などが名所記の先駆的作品であるが,実用的記述,すなわち名所旧跡の由来,道中の行程などが欠けており,名所記とはいえない。中川喜雲の仮名草子『京童 (わらべ) 』 (1658) が名所記の最初で,以後,山本泰順の『洛陽名所集』 (58) ,浅井了意の『東海道名所記』などが刊行された。名所記が後世に及ぼした影響は大きく,秋里籬島の『都名所図会』 (1780) 以下の名所図会類はその代表的な例である。」
仮名草子の『竹斎』は芭蕉も読んでいたのか、前年の冬には、
狂句こがらしの身は竹斎に似たる哉 芭蕉
の句を詠んでいる。
万治二年(一六五九年)に刊行された浅井了意の『東海道名所記』などを片手に東海道を旅する人も、当時のあるあるだったと思われる。不意のカラスのタッチアンドゴーにびっくりして本を取り落とす。
「かへさ」は「帰りがけ」、夕方だから宿に戻る。
五句目。
かへさに袖をもれし名所記
住馴て月待つほどのうら伝ひ 僕言(僕の人偏のない字だが、フォントが見つからないので「僕」で代用する。)
これは『源氏物語』須磨巻の十五夜の場面の本説。前句の名所記を、源氏の君が須磨から帰ったあとに描いた須磨の絵日記のことだとする。
六句目。
住馴て月待つほどのうら伝ひ
それとばかりの秋の風音 自笑
月待つ浦に秋風と、軽く流す。
0 件のコメント:
コメントを投稿