2019年5月19日日曜日

 今日は代々木へOKINAWAまつり2019を見に行った。山羊そばを食べた。千代田ねこ祭りにも出ていたむぎ(猫)のステージをここでも見た。
 昨夜は家の前の枇杷の木にハクビシンが来てギャーギャーうるさかった。最近都市を中心に増えているという。
 ウィキペディアによれば、ハクビシンはてっきり外来種だと思っていたが、

 「これら日本のハクビシンが在来種なのか外来種なのかは確定していない。江戸時代に記録された『雷獣』とされる動物の特徴がハクビシンに似ているため、江戸時代には既に少数が日本に生息していたとする説や、明治時代に毛皮用として中国などから持ち込まれた一部が野生化したとの説が有力である。根拠としては、国内においてジャコウネコ科の化石記録が存在しないこと、中国地方や九州に連続的に分布していないことが挙げられる。ただし、導入個体群の原産地や詳細な導入時期に関しては不明である。」

となっている。ただ、

 「日本では本州から九州にかけて断続的に分布しており、日本での初めての確実な記録は1943年の静岡県浜名郡での狩猟記録で、1952年以降は国の狩猟統計にも登場している。」

とあるから、昔から散発的に持ち込まれて野生化する事はあったが、爆発的に増えたのは最近のことだと見ていいのだろう。
 増えているといえばアライグマも前に相模川の沿いの道路で轢かれたアライグマを見たことがある。狸かと思ったがそれにしてはデカすぎるし、尻尾に縞々があった。
 都市の環境は概ね動物に対して親切で、獲って食うこともなければ、農作物を荒らすといって追い払われることもないから、在来種だけでなく固有種で一度山に追い払われたものも結構街に帰ってきているという。
 子供の頃は狸が出るというと「どんな田舎だ」と言われたし、七十年代にはこの町の「最後の狸」とか言われた剥製にされた個体もいたが、今では東京の真ん中でも狸はいる。
 この頃は街での猪や熊の出没もニュースになっている。
 植物の方も、昔ながらの蓬や葎にかわって、様々な外来植物の花が咲いている。この頃目に付くのはユウゲショウで、ピンクの小さく可憐な花を咲かす。名前はユウゲショウだが早朝から咲いているし、夕方には萎んでいる。
 今の時期にはまだナガミヒナゲシの小さなオレンジの花も咲いている。多くは既に芥子坊主になっているが、これが細長いために「ナガミ」と呼ばれているという。
 子供の頃は初夏になるとヒメジョオンの白い花に埋め尽くされた空き地が多かったが、最近はこの二つに押されている。
 もう十八年くらい前になるか、詩人会議時代に書いた詩をふと思い出した。

   帰化
 この頃見知らぬ顔が増えてきた
 人の夢埋めた埋め立て地
 どこからか流れ着いた異国の種に
 咲いた花びらひとときの栄華

 ゴミとなっても夢は終らない
 靴底にへばりつきクソにまみれ
 またどこか遠くの街で
 人知れずに花盛り

   どこだっていいこの地球の地面に
   今日が一人降り立った記念日
   開かれた未来自由に思い描け

   すべての生き物のそれぞれの遺伝子
   誰にでもある生きてゆく権利
   異国の地を新しい色に染めてやれ

 今思うと甘いなと思うのは、「個」として様々な人々が交じり合うのならさほど問題は起こらないが、異国の地に移り住んでも本国の集団意識を持ち続け、そこで集団となって権利を主張し始めるなら、結局実質的な侵略行為になってしまうことだ。
 集団の閉鎖性を異国の地にまで持ち込まないようにできるほど、人類の「個」の意識は成熟していない。口では世界市民などと言ってはいても、結局特定の民族集団の利益の為に排他的にふるまうなら、やはり「外国人」だ。それが今世界で問題になっているのではないかと思う。
 いかなる民族も国家も宗教も関係ない完全な「個」というのが存在して、誰もが七十億人に対してたった一人であるという究極のマイノリティーとして生きるなら、本当の意味で国境のない世界を作ることができるだろう。だが、現実はちがう。結局人は心の中に国境を作り、ただ「自分達」の利害の為に人権を利用することしか考えない。
 さて、風流の方はというと、そろそろ連歌・俳諧に欠かせない式目のことを考えてみようかと思う。ゲームは世界を繋ぐ、そう信じたい。そのゲームに欠かせないのはルールだ。同じルールを共有することでプレーヤーは一つになる。

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