2019年5月20日月曜日

 ジョン・レノンの「イマジン」の理想も、想像するだけなら簡単だが実際にやるとなるとかなりきついものがある。
 国なんてないんだとはいっても、人は生きるために社会集団を作り、集団の利益のために行動する。そこに自ずと仲間とそうでないものの区別が生まれ、それが大きな単位になれば結局心の中に国境が生まれる。
 アメリカのどこかの学校では親友を作ることを禁止しているらしい。特別な人、大事な人が生じれば、自ずと人を平等に扱うことは困難になる。だからといって家族も恋人も親友もいない世界というのが本当に理想の世界なのかというと、誰もが首をひねるところだろう。それこそディストピアではないかと思う。
 現実には困難なことでも、想像の世界なら簡単なことだ。歌もそうだし、小説やゲームやスポーツの中でなら実現できることもある。
 様々な理不尽に満ちた糞ったれなこの世界で救いがあるとしたら、それを当たり前と受け入れるのではなく笑い飛ばす世界があるということだ。
 連歌・俳諧は歌であると同時にゲームでもあり、苦渋に満ちた世界を笑いに変える別乾坤でもある。
 ゲームであるからにはルールがある。ゲームのルールというのは退屈しない程度に適度な難易度を具えていなければならない。そしてそのルールに従う限り、各プレーヤーは身分に関係なく平等になる。偉い人だからルールを無視してもいいということではない。
 連歌の公式ルールは基本的に応安五(一三七二)年に作られた『応安新式』と『新式追加』それに享徳元(一四五二)年の『新式今案』の三つがある。ここではまず『応安新式』を見て行くことにする。
 まず最初にあるのがこれ。

 「一、韻字事
 物の名と(朝夕の字同之、他准之)詞の字と是を不可嫌、物の名と物の名打越を可嫌、詞の字つつ、けり、かな、らん、して如此類、打越可嫌之、他准之。」(『連歌論集 下』伊地知鉄男編、一九五六、岩波文庫p.298)

 これだけだと何だかよくわからないので、『連歌新式古注集』(木藤才蔵編、一九八八、古典文庫)の「連歌新式永禄十二年注」を見てみよう。

 「韻の字といふは、上句下句のとまりの字也。詩にはすこしかはりたり。連歌には、手尓於葉の字をも、韻の字といへり。又、歌に韻をふみてよめる時は詩におなじ。定家卿の歌に、繊の字にてよめる、
 面影のひかふる方にかへりみる都の山は月ほそくして
 してといふは、てにをはなればなり。」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.10)

 たとえば、水無瀬三吟の表八句、

 雪ながら山もと霞む夕べかな    宗祇
   行く水遠く梅匂う里      肖柏
 川風にひとむら柳春みえて     宗長
   船さす音もしるき明け方    宗祇
 月やなほ霧渡る夜に残るらん    肖柏
   霜置く野原秋は暮れけり    宗長
 鳴く虫の心ともなく草枯れて    宗祇
   垣根をとへばあらはなる道   肖柏

の場合だと、「かな」「里」「て」「方」「らん」「けり」「て」「道」が韻字になる。打越、つまり「かな」「て」、「里」「方」、「て」「らん」、「方」「けり」、「らん」「道」など、同じ音の重複がなければ良しとする。

 「物名(朝夕之字同之。他准之)与詞の字、不嫌之。物名与物名可嫌打越(時雨・夕暮などととむる事、近代不嫌之)
 たとへば、時雨ととまり、あられととまる、このれのかなを嫌たる也。朝夕の字同之と云は、夕・曙・夜・昼・宵・暁などは、物名に可用之と云心也。
 しぐれ・夕ぐれなど留る事、近代不嫌之。この詞今案なり。
 物名と物名とのとまり、今の世には不嫌之、といふは是也。されば是より前の一段は、いらざる物なれど、後常恩寺殿の奥書に云、応安の新式は此道亀鏡也、永不可違背と侍り。此故に、あらためずして書ける也。」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.11)

 「物名」は体言で、「詞の字」は用言を指すと思われる。
 物名の場合は「時雨」「夕暮れ」だとおなじ「れ」の字で留まるということで、「応安新式」の時代は嫌っていた。ただこの注の書かれている室町時代末期の紹巴の時代では嫌わなくなっていたようだ。
 「しぐれ」「あられ」も同様、「れ」の字で留まるのでNGとなる。
 西洋では韻を踏む伝統があるから、韻字の一致は好まれるが、日本ではむしろ嫌われる傾向にあった。
 以前『九鬼周造のライム』を書いたとき、古今集の上句と下句で韻を踏んでいるものがどれだけあるか調べたことがある。『九鬼周造のライム』から引用しておこう。

 「単純に考えても、日本語の母音は五つしかないのだから、和歌の上句の末尾と下句の末尾が単純韻を踏む確立は五分の一、『古今集』の千首余りの和歌のうち二百首がこの種の韻を踏んでいることは当然予測できる。また、いろはは四十七文字だから、拡充単純韻を踏む確率は四十七分の一、少なくとも二十首はあってもおかしくない。実際末尾に来る文字というのは四十七文字均等ではなく、頻繁に出現する文字が幾つかあるから、もっと確率は高い。まして、先に述べたような無意識のライミングが存在するなら、より多くの頻度で末尾の一致が生じている可能性がある。
 ところが実際に数えてみると、『古今集』の巻一から巻十八までのちょうど千首の和歌に関して、上句と下句の末尾の母音の一致するもの(単純韻)は百十九首、末尾の母音子音とも一致するもの(拡充単純韻)は十三首しかない。これはむしろ、上句と下句の母音の一致を嫌っている可能性がある。少なくとも、ここには意図的な押韻は認められない。」

 連歌式目での打越の同韻を嫌うのも、もとから和歌でも韻を踏むことを嫌う傾向があり、それを引き継いだ側面もあったのではないかと思う。

 「一、詞の字、つつ・けり・かな・らん・して、如此類可嫌打越(他准之)
 か様の手尓於葉の字は、一句の詮にならず。いひそへて、十七、十四の仮名の数にするまでなり。ムノスナリレリ てにをはを詞の字と云事は、玄恵法師の太平記書給ふ時、てにをはの字をさだめられたる也。前の月ほそくしてと云歌も、ほそきまでなり。ほそきかなとも、ほそからんともいはるるなり。」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.12)

 詞の字の場合、同じ韻は同じ助詞である事が多いため、打越で同じ言葉を嫌うのは輪廻を嫌うのとほぼ同じことといえる。
 俳諧でもこの韻字のルールはほぼ守られている。

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