2019年5月27日月曜日

 暑い日が続く。テレビは熱中症に注意を呼びかけスポーツを控えるように呼びかけるが、高校野球に言及することはない。玉森裕太さんの句のパクリだが、炎天下野球別腹草生える。
 ところで、社会主義の理性の王国はなぜ挫折するのか。
 答えは簡単だ。理性は一つではなく、人それぞれみんな違うからだ。
 みんな違うのにそれを無理矢理一つにしようとすれば、必ず争いが起こる。議論は永遠に平行線で、解決を急げばもはや暴力しかない。
 かくして理性のユートピアのための戦いは修羅の道に堕ちて行く。
 ならどうすればいい。遊べばいい。想像の中だけならユートピアはいつでもそこにある。
 あのロックの神様もかくのたもうた。想像しろ(imagine)。放っておけ(let it be)。
 それではゲームで遊ぼう。我国が誇る中世の遊び文化、連歌の式目の続き。

 「一、一座四句物
 雪(三様之、此外春雪一、似物の雪、別段の事也) 晨明(ありあけ)(四季各一) 関(只一、名所一、恋一、春秋などに一) 氷(只一、つらら一、月の氷、涙の氷などに一、霜雪のこほるなどに一) 鐘(只一、入逢一、尺教一、異名一)」(『連歌論集 下』伊地知鉄男編、一九五六、岩波文庫p.300)

 この辺になると大分少なくなってくる。
 雪の「三様」は冬の雪を趣向を変えながら三句ということ。そのほかに一句春の雪を詠むことができる。似せ物の雪は比喩としての雪で桜の散る様を雪に喩えるようなことをいうと思われる。四句とは別に詠むことができる。
 氷の四句に氷室は含まれない。「連歌新式心前注」に「氷室は此外なるべし」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.240)とある。
 有明の月は秋であっても一句に制限される。その他春夏冬の有明も一句づつ詠める。
 鐘の異名は「連歌新式永禄十二年注」に、

 「異名とは、くぢらのこゑ・かものこゑなどいへり。」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.48)

とある。

 「一、一座五句物
 世(只一、浮世世中の間に一、恋世一、前世後世などに一) 梅(只一、紅葉一、紅梅一、冬梅一、青梅一) 橋(只一、御階一、梯一、名所一、浮橋一)」(『連歌論集 下』伊地知鉄男編、一九五六、岩波文庫p.300)

 「恋世」は古文の試験でお馴染みの「世の中」には男女の仲の意味があるというもの。「前世後世などに一」は前世一、後世一で、これで五句になる。
 ただ紹巴の時代には解釈が割れていたのか、「連歌新式永禄十二年注」には、

 「只の世一、述懐の世二、恋の世一、前世・後世・仏世など三の中に一用。」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.51)

とあり、「連歌新式紹巴注」には、

 「述懐世二。恋の世は面をかへてあるべし。うき世に憂字二句。悲しきも同。」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.155)

とあり、「連歌新式心前注」には、

 「只一。浮世・世中の間に一。恋の世一。前世一。後世一。」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.243)

とある。

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