2019年5月7日火曜日

 あれ以来全く音沙汰なしだった沖縄のジュゴンだが、東京新聞の報道によれば、何と去年の十一月まで辺野古の東側の海岸(埋め立てているのは南側)や嘉陽海岸でジュゴンの海藻の食跡が確認されていたという。
 また九月にはジュゴンの姿も確認されていたということで、だとするとC個体が生きていたか、別のジュゴンがやってきたかどちらかで、これは朗報といっていいだろう。
 C個体は嘉陽海岸が主な生息地で辺野古の東側は同じ湾内になる。
 なお、この前死んでいたB個体の死因調査はまだ行われてないようだ。玉城知事が、「死因を究明する意味でも土砂投入をやめ‥」といっているようだが、まさか土砂投入をやめるまで死因究明に応じないというんじゃないだろうな。
 まあ、それはともかくとして今日も『俳諧問答』の続きを。

 「一、夫レてにはと云物を人々心安くおもひなして、いたづらにをく事、元来つたなき故也。てにはハ我朝やまと詞の根本也。
 芭蕉をはせをと訓じ、蘭をらにと訓ずるハ、是やまと詞となすべき為に、かくハ訓じ侍る也。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.135)

 さて、今までいろいろと、てにはがまずいだの変だの指摘してきた許六さんだが、ここでそもそも「てには」とはというそもそも論に入る。
 「心安くおもひなして」は安易に考えてということ。「いたづらにをく」は無自覚に用いるくらいの意味か。大体文法というのはどこの国どこの言語でもそういうもので、ほとんどの人が無自覚に用いているのが普通だ。
 外国語を習う時と違い、母国語は赤ちゃんの時に自然に習得する。だから一々文法を学んだりしない。ただ習慣として身につけ使いこなしている。それは「つたなき故」どころか、むしろこうした自然言語こそが「詞の根本」だというのが今の言語学の考え方だ。
 ただ、「雅語」のような学習を必要とする共通言語ともなると、それはむしろ規範言語であり、「てにはハ我朝やまと詞の根本也」というのはそういう規範言語に当てはまる。
 自然言語としての日本語は昔から様々な方言やスラングや業界詞などによって細分化され、「てには」の使い方も必ずしも一定ではない。ただ、俳諧の詞は雅語に俗語を交えたものが基本になり、芭蕉やのちに惟然がより自然言語に近づけようとしてはきたものの、基本的には規範言語を脱するものではない。
 それは明治の言文一致運動にしても同じで、言文一致は同時に規範言語としての標準語制定運動と並行して起きたものにほかならない。書き言葉を話し言葉にあわせるだけではなく、話し言葉そのものを人工的に作られた標準語にあわせてゆこうというものだった。
 もちろん、この鈴呂屋俳話の文章も書き言葉であって、実際に私はこのように喋ることはない。
 余談だが、子供の頃筆者は作文が大の苦手だった。感想文とか書かされても断片的ないくつかの文章を綴るのがやっとだった。ところが高校生の頃だったか、急にいくらでも文章が書けるようになった。書き言葉で思考できるようになったからではないかと思っている。
 雅語の習得も、結局は雅語で思考できるかどうかの問題ではないかと思う。こうした規範言語の立場からすると、自然言語は粗雑で乱暴で拙いということになる。
 許六のいう「やまと詞」は雅語であり、本来古代中国語だった詞が雅語の中に取り込まれた例として、芭蕉(はせを)、蘭(らに)を例に挙げている。「やまと詞となすべき為に」というのやまと詞に取り込むためと言っていい。

 「されバ、やまとの地において、草木・土石・風水のひびきまでも、皆歌也。まして人間の言葉においてをや。
 花になく鶯、水にすむ蛙も歌をよむとハ、古今集の序文也。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.135)

 ここでいうやまと詞が雅語である以上、それは和歌の詞だ。「草木・土石・風水のひびき」が雅語によって表わされる限りでは、それは歌の詞だ。
 「草木」はただの生物学的な植物でなく、歌に詠まれ、そこに古来様々な感情が託された時、それはやがて様々な古歌の記憶を喚起する詞となる。
 「虫の音」も日本人にとってただの雑音ではなく、左脳で一種の「詞」として処理されるのは、それが古人から引き継がれた「虫の音」の情を喚起するからに他ならない。
 雅語に親しみ、雅語で思考できるようになった時、草木・土石・風水のひびきはみな古歌の情を引き起こすものとなる。
 ただ、「花になく鶯、水にすむ蛙も歌をよむ」という『古今集』仮名序の詞は、鶯や蛙が和歌の情を引き起こすというよりは、鶯の囀りも蛙の声も原始的な歌だという意味ではないかと思う。動物が声を出すように、人も声を出す。
 『詩経』の大序に、

 「言之不足、故嗟嘆之。嗟嘆之不足、故永歌之。永歌之不足、不知手之舞之、足之蹈之也。(言うだけでは足りなくて叫ぶ。叫んでも足りなくて歌う。歌っても足りなくて手は舞い、足はステップを踏む。)
 情發於聲、聲成文。(感情は声によって発せられ、声は文章となる。)」

というように、ただ言葉で何らかの概念を伝達するだけでなく、そこに様々な感情が込められ、叫んだり歌ったり踊ったりする、その感情の発露は、根源を辿るなら鶯の囀りや蛙の声から進化したものだと考えられる。
 ただ、人間の言葉は単なる感情の発露としての叫びではなく、様々な概念に分解された記憶に目次(インデックス)と付け、いつでもそれを引きだせるだけでなく、伝達をも可能にする。いわば記憶をその場でのフラッシュバックに頼らず、意図的にいつでも引きだせるようにした所に、人間ならではの文明が生まれたと言っていいだろう。
 チンパンジーは高い所にあるバナナと踏み台と長い棹を見て、その場で何かを思いつくことはできるが、人間ならそれを夜の寝床で考えることもできる。
 ただ、こうした言語を獲得してもなお、その言語は古い動物の鳴き声の上に接木されている。この脳の古い層と新しい層が不可分に結びつく所に、歌の言葉としての「雅語」を発達させたのが、日本の文化だと言ってもいいかもしれない。
 言葉に概念を乗せることで、人は知識を共有化することができるようになった。同じように、言葉に感情を乗せれば、人は感情を共有できるようになる。これが雅語の力だった。

 「神代の歌ハ、文字の数もさだまらずとハいへり。今の代ハ、三十一文字の数を合せねば、歌とハいはず。
 一昼夜の雑話幷呼吸の数、皆是歌也。
 歌をたてる国風なれば、和字ハいふに及ばず、漢字に訓と云ものを付てよめるも、皆是大和の歌詞なり。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.135)

 「神代の歌」は記紀神話などに登場する歌。たとえば日本武尊の、

 大和は国のまほろば
 たたなづく青垣山ごもれる
 大和しうるはし

などは後の短歌や長歌や旋頭歌の形態を取っていない。三十一文字の歌の起源は、長いこと、

 八雲立つ出雲八重垣妻ごみに
     八重垣作るその八重垣を

とされてきた。
 連歌の起源は、

 新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる
 日々並べて夜には九夜日には十日を

だとされてきた。
 やがて長歌や旋頭歌も廃れ、歌というと三十一文字の和歌を表わすようになった。
 ただ、こうした狭義の歌に限らなくても、雅語の伝統の身に染み付いた日本人であるなら、「一昼夜の雑話幷呼吸の数、皆是歌也。」ということになる。
 漢字に訓を付けて大和言葉に取り込んできたように、俗語も俳諧の上句下句にすることで、雅語の領域をひろげてきた。そしてやがて、雅語を用いずとも俗語で人々は感情を共有するようになった。
 西洋の言語でも、今日のポップスや映画やコミックスの言葉は俳諧の詞と同様、広く大衆の間での感情の共有に役立っていると思う。
 古代中国語を雅語に取り込んだ例としては、他にも「梅(むめ)」「馬(むま)」「木槿(むくげ)」「山茶花(さんざか→さざんか)」などがある。

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