「杜若」の巻の続き。
十三句目。
岸にかぞふる八百の鷺
森透に燈籠三つ四つ幽なる 叩端
前句を単に河辺の風景として、その向こうに神社があるのか、燈籠が三つ四つ森の木々の合い間に見える。夜分になるので月を呼び出す。
十四句目。
森透に燈籠三つ四つ幽なる
子をおもふ親の月さがしけり 重辰
これは謡曲『三井寺』か。前句を三井寺の燈籠とする。「月さがしけり」は「月の中をさがしけり」。
十五句目。
子をおもふ親の月さがしけり
それの秋すなる手打の悔しくも 知足
『校本芭蕉全集 第三巻』の注は子殺しのこととするが、子の敵(かたき)をとったとも取れる。
いずれにせよ前句を心の闇に真如の月を探すこととする。
十六句目。
それの秋すなる手打の悔しくも
猫ならば猫霧晴てから 如風
曲者と思って手打ちにしたが、霧が晴れたら猫だった。無用な殺生は悔やんでも悔やみきれない。
十七句目。
猫ならば猫霧晴てから
鳥辺野に葛とる女花わけて 桐葉
「鳥辺野」はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」に、
「京都市東山(ひがしやま)区、東山西麓(せいろく)の地域。かつては現在の五条坂から今熊野(いまくまの)付近にかけての広い地区を称していた。平安中期ごろから葬送の地として知られ、『源氏物語』にも葵上(あおいのうえ)が荼毘(だび)に付されるようすを記している。近世以前は庶民の墓は墓石がなく、卒塔婆(そとば)を立てたが、近世以降は大谷本廟(ほんびょう)(西大谷)から清水(きよみず)寺にかけて墓地が集中し、浄瑠璃(じょうるり)で知られたお俊(しゅん)・伝兵衛(でんべえ)の墓などもある。[織田武雄]」
とある。江戸時代ではもはや風葬の地ではなく、普通に墓石が立てられて
いた。
「葛とる」は葛の根を掘るのではない。葛の根の収穫は冬でかなりの力仕事だ。ここでは食用にする葛の芽ではないかと思う。
花の定座で、この場合の「花わけて」が正花であるからには、そこいらの雑草の花ではなく、散った桜の花びらを掻き分けてという意味だろう。
墓場で葛の芽を摘む女は、この周辺に住む被差別民であろう。
墓地には猫が多い。死んだ猫と考える必要はない。葛を取りながら猫に餌やったりしてたのかもしれない。
十八句目。
鳥辺野に葛とる女花わけて
ねためる筋を春惜まるる 僕言
女が出たところで恋に転じる。
ねたましい人を憎みながら、春の終ってしまうのを惜しむ。
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