今日も暑かった。それでは「応安新式」の続き。
龍の句のところで例として挙げられてた、
たつのぼるながれにももの花うきて
の句は、『宗伊宗祇湯山両吟』の六十一句目で、
落つるもいく瀬滝のみなかみ
龍のぼるながれに桃の花浮きて 宗伊
の句だった。(「ながれにものの」と書いてしまったが、これは入力ミスなので訂正した。)
「一、一座二句物
春月(只一、在明一) 夏月(只一、在明一) 冬月(只一、在明一) 暁(只一、其暁一) 代(神代一、君代一) 春風(只一、春の風一) 秋風(只一、春の風一) 松風(只一、松の風一) 五月雨(只一、梅雨一) 夕 今日 いほ一(いほり一) 故郷(只一、名所引合一) 岡(只一、名所引合一) 池(只一、名所引合一) 湊(只一、名所引合一) 宿(只一、旅一) 庭(只一、庭の教など云て一) 雁(春一、秋一) 猿(只一、ましら一) 旅(只一、旅衣など云一) 命(只一、虫の命などに一) 老(只一、鳥木などに一) 男(只一、桂男など云て一、如此二句物懐紙可替之)名残(只一、花などに一) 成にけり 思しに 物を(如此置所をかへて二句) 恋しく・こひしき うらみ・うらむ(如此云かへて二句)」(『連歌論集 下』伊地知鉄男編、一九五六、岩波文庫p.300)
連歌の言葉は基本的には一座一句だが、言い換えることで二句用いることのできるものがある。月は春夏秋冬に分けることができて、そのうちの春夏冬に関しては月の句とは別に有明の句を一句詠むことができる。
秋の場合も有明は一句だが、他は制限がない。ただし、可隔七句物で同字五句去りよりは厳しくなっている。
「水無瀬三吟」の場合、五句目に秋の月(意味的には有明)、十八句目に秋の月、二十七句目に春の月、四十八句目に秋の月、五十八句目に秋の月、六十六句目に秋の月、九十句目に秋の月で、この頃は四花八月という規則はなかった。
前にこの俳話でも取り上げた「宗祇独吟何人百韻」では、第三に春の月、十一句目に秋の月、十九句目に秋の月、三十一句目に秋の月、四十四句目に秋の月、五十二句目に冬の有明、六十句目に秋の月、六十九句目に秋の月、八十四句目に秋の月、九十二句目に秋の月となっている。基本的に秋の月以外はそれほど詠まれることはない。江戸時代の俳諧のほうが秋の月以外の頻度が高いように思える。
なお、『新式追加条々』には、
「春月(只一、在明一、三日月一) 夏 冬(同前)」(『連歌論集 下』伊地知鉄男編、一九五六、岩波文庫p.305)
とある。春夏冬の月はそれぞれ一座三句物に増えている。
「暁(只一、其暁一)」の其暁については、「連歌新式永禄十二年注」に、
「其暁とは、三会の暁の事也。又、人の心の迷のやみをはらして、心の明白に成ことをいへり。」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.36)
とある。「三会」は「竜華三会」で、コトバンクの「デジタル大辞泉の解説」には、
「《連声(れんじょう)で「りゅうげさんね」とも》釈迦の入滅後56億7000万年ののち、弥勒菩薩がこの世に出て、竜華樹の下で悟りを開き、人々を救済するために説法するという3回にわたる法座。竜華会。弥勒三会。」
とある。
ネット上の論文、『弥勒菩薩による救済の表現─「とはずがたり」を中心に』(吉野瑞恵)によれば、『とはずがたり』に、
このたびは待つあか月のしるべせよ
さても絶えぬる契なりとも
(巻三、一四六)
月を待暁までの遥かさに
今入日の影ぞ悲しき
(巻三、一四六)
の歌があり、竜華の暁を意味するという。
「代(神代一、君代一)」は「世」とは別で、「世」は一座五句物になっている。「かみのよ」「きみがよ」が一句づつという意味。
「君が代」の用例としては、『姉小路今神明百韻』の挙句、
日影さす山のかたその竹の戸に
君が此の代のひかりしるしも 宗砌
『応仁元年心敬独吟山何百韻』の七十六句目、
身を安くかくし置へき方もなし
治れとのミいのる君か代 心敬
などの句がある。
「春風(只一、春の風一) 秋風(只一、春の風一) 松風(只一、松の風一) 五月雨(只一、梅雨一) 夕 今日 いほ一(いほり一)」は言い換えればOKというもの。
「故郷(只一、名所引合一) 岡(只一、名所引合一) 池(只一、名所引合一) 湊(只一、名所引合一)」は名所の古郷、名所の岡、、名所の池、名所の港とそれぞれ別に詠める。名所の故郷というのは、「連歌新式心前注」に、
「名所の古郷とは、志賀の古郷・吉野の古郷など也。」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.228)
とある。生まれた所という意味ではなく旧都・旧跡の意味で、
みよしのの山の秋風さよふけて
ふるさと寒くころも打つなり
参議雅経
の歌もある。志賀にも、
あすよりは志賀の花園まれにだに
たれかは訪はん春のふるさと
摂政太政大臣(藤原良経)
の歌がある。
「庭(只一、庭の教など云て一)」の「庭の教」は「連歌新式心前注」に、
「庭の訓とは、物を習事也。
論語、季子篇、鯉走而過庭。曰、学詩乎。対曰未也。曰不学詩、無以言也。鯉退学詩。他日又独立、鯉趨而過庭。曰、学礼乎。答曰未也。不学礼無以立鯉退而学礼。
是にて、物をならひをしゆる事を庭訓と云。」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.229)
とある。歌語だと「にはのをしへ」になる。
また、「連歌新式永禄十二年注」や「連歌新式心前注」には、
「庭の外、寺・皇居等之間に庭あるべし。」
とあり、「連歌新式紹巴注」には、
「庭一、皇居に一、庭のをしへなどに一。」
とある。寺や皇居の庭は別扱いとして、実質的に一座三句物になっている。
「雁(春一、秋一)」は秋に来る雁、春に帰る雁で二度詠めるということ。これはわかりやすい。
「猿(只一、ましら一)」は「さる」とその異名の「ましら」を詠める。
「命(只一、虫の命などに一) 老(只一、鳥木などに一)」は人間と人間以外に一句づつ。
「一、一座三句物
神(神代一、只一、名所一) 花三(懐紙をかふべし、にせ物の花此外に一) 藤(只一、藤原一、季をかへて一) 櫻(只一、山櫻遅櫻など云て一、紅葉一) 柳(只一、青柳一、秋冬の間一) 落葉(只一、松の落葉一、柳ちるなど云て一) 紅葉(只一、梅櫻に一、草のもみぢ一) 荻(只一、夏冬に一、やけはら一) 薄(只一、尾花一、すぐろ、ほやなどに一) 都(只一、名所一、此内に有べし、旅一) 塩(只一、焼て一、潮一) 岸(只一、彼岸一、名所一) 文(恋一、旅一、文字文一) 狩(鷹一、鶉一、獣一) 鶏(夜鳥一、庭鳥一、異名一) 鹿(只一、鹿の子一、すがる一) 車(只一、水車一、法車一)」(『連歌論集 下』伊地知鉄男編、一九五六、岩波文庫p.300)
「神(神代一、只一、名所一)」のうち名所の所は「連歌新式永禄十二年注」には「名神一」となっていて、
「むすぶの神、一夜めぐりの神、あら人神などを名の神と云なり。」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.41)
とある。
「花三(懐紙をかふべし、にせ物の花此外に一)」は、この頃まだ「定座」というものはなく、表裏含めて一枚の懐紙に一句、どこでも良かった。一座三句だと花のない懐紙が出来てしまうため、比喩としての花を一句詠み、四枚の懐紙すべてに花が行くようにした。
後の『新式今案』でも基本的には花は一座三句だが、「近年或為四本之物然而余花は可在其中」とある。
「荻(只一、夏冬に一、やけはら一)」とあり、「連歌新式永禄十二年注」に、「焼原は春なり。」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.43)として、
けふよりは萩の焼原かき分て
若なつみにと誰をさそはん
の歌が例示されている。
「薄(只一、尾花一、すぐろ、ほやなどに一)」とあるが、「すぐろ、ほや」は「連歌新式永禄十二年注」に、
「薄は総名なり。尾花とは穂に出たるを云。すぐろとは、焼野の薄を云。ほやとは、すはの祭の頭屋を薄のほにてふくを云。」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.43~44)
とある。
あはづののすぐろの薄角ぐめば
冬立なづむ駒ぞいばふる
しな野なるほやのの薄ほに出て
いざみだれなむしどろもどろに
わぎもこに逢坂山の篠薄
ほにはいでずて恋やわたらむ
の三首が例として挙げられているが、最初の歌は、
あはづ野のすぐろのすすきつのぐめば
冬たちなづむ駒ぞいばゆる
権僧正静円
二首目はよくわからない。ネットで
しなのなるほやのすゝきも風ふけば
そよそよさこそいはまほしけれ
まめなれど良き名も立たず刈萱の
いざ乱れなむしどろもどろに
の二首を見つけたが。
「ほや」は穂屋で、『猿蓑』に、
雪散るや穂屋の薄の刈り残し 芭蕉
の句がある。
三首目は『古今集』の、
我妹子に逢坂山のしのすすき
穂には出でずも恋ひわたるかな
だと思われる。
「岸(只一、彼岸一、名所一)」の彼岸はあの世、涅槃の岸のこと。
「文(恋一、旅一、文字文一)」の「文字文」は諸注には「文学一」とある。
「鶏(夜鳥一、庭鳥一、異名一)」の異名は「くたかけ・ゆふつけ鳥など」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.237)と「連歌新式心前注」にある。
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