今日は府中美術館で行われている「へそまがり日本美術」展を見に行った。仙厓の梟、徳川家光公の木菟、蘆雪の狗、彭城百川の狐、他いろいろ面白い絵があった。蘆雪の『猿猴弄柿図』は慢心するなという戒めだろうか。
昨日は一日雨で平成の最初の日を思い出す。マスメディアも皇室一色で同じ映像を何度も繰り返す。あの時と何一つ変わっていないような妙なデジャブ感のある一日だった。
令和にちなんだ妙な万葉集押しも実際の所どこまで盛り上がっているのか。まあ、『文選』では経済効果が期待できないからな。
例の「梅花謌卅二首」は、確かにその後の古今集以降の梅の趣向に繋がるもので、和歌の原型といえる。ネットだと令和の話題に埋もれて序文ばかりが出てきて、肝心のこの三十二首がなかなか出てこないので、岩波文庫から引用する。
冒頭の歌は、
正月立ち春の来らばかくしこそ
梅を招きつつ楽しき竟め
大弐紀卿
これは新年と梅を結びつけるものだが、「正月立ち」という言い回しが何とも古めかしい。「春立」は今にも残るが、睦月が立つという言い回しはその後消えてしまったようだ。
睦月になれば自動的に春は来るのだから、「正月立ち春の来らばかくしこそ」はさすがに冗長で、「春立てば」の五文字で済むことだ。
梅といえば鶯だが、この組み合わせは既にこの三十二首の中に現れている。
梅の花散らまく惜しみわが苑の
竹の林に鶯鳴くも
少監阿氏奥島
春されば木末隠りて鶯ぞ
鳴きていぬなる梅が下枝に
少典山氏若麻呂
春の野に鳴くや鶯なつけむと
わが家の苑に梅が花咲く
筭師志氏大道
梅の花散り乱ひたる岡傍には
鶯鳴くも春片設けて
大隈目榎氏鉢麻呂
鶯の声聞くなへに梅の花
吾家の苑に咲きて散る見ゆ
対馬目高氏老
わが宿の梅の下枝に遊びつつ
鶯鳴くも散らまく惜しみ
薩摩目高氏海人
作者の名前は特にルビを振らなかったが、これをすらすら読める人はどのみち日本にそうたくさんはいないから、別に覚えなくてもいいだろう。
『古今集』の、
題しらず
梅がえにきゐる鶯春かけて
鳴けどもいまだ雪はふりつつ
読人しらず
題しらず
折りつれば袖こそにほへ梅の花
ありとやここに鶯の鳴く
読人しらず
むめの花ををりてよめる
鶯のかさにぬふとて梅の花
折りてかざさむ老かくるやと
東三条の左のおほいまうちぎみ
この最後の歌は、
鶯の笠落したる椿かな 芭蕉
の元になっている。
面白いのは、白梅の散るのを雪に喩えた歌があることだ。
わが苑の梅の花散るひさかたの
天より雪の流れ来るかも
主人
「かも」は後の「かな」に通じるもので、主観的な想像を治定する働きがある。名古屋弁の「きゃーも」にその名残を留めている。
梅は雪の季節に降るので、「後に追ひて和ふる梅の歌四首」に、
残りたる雪に交れる梅の花
早くな散りそ雪は消ぬとも
雪の色を奪ひて咲ける梅の花
いま盛なり見む人もがな
の歌がある。
散る白梅と雪は比喩なのか本当に雪が降っていたのか紛らわしいということのあったか、その後雪に喩えられるのは桜になり、本物の雪も『古今集』では、
雪の木にふりかかれるをよめる
春たてば花とや見らむ白雪の
かかれる枝にうぐひすの鳴く
素性法師
とやはり桜に喩えられる。
なお、この三十二首には桜も登場する。
梅の花咲きて散りなば桜花
継ぎて咲くべくなりにてあらずや
薬師張氏福子
やはり梅は桜の前座だったのか。
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