今日はまた晴れた。ただ、夜になって雲が出てきて月は見えない。
それでは「応安新式」の続き。
遠輪廻のところで、「連歌新式永禄十二年注」には、
「竹と云句に世と付て、又夜の字不可付之。如此類又遠輪廻なり。」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.17)
とある。
これは竹の節と節の間のことを「よ」と言っていたためで、この「よ」に掛けて「世」「夜」を付けるのは、同じ趣向と見なされていたからだ。
『古今集』に、
なよ竹のよながきうえにはつしもの
おきゐて物を思ふころかな
ふじはらのたゞふさ
の歌のように、「竹のよ」を「世」に掛けて用いることがあった。『新古今』のも、
延喜御時屏風哥
としことにおいそふ竹のよゝをへて
かはらぬいろをたれとかはみん
紀貫之
の歌もある。
同様に、竹に「ふし」を付ける場合も意味は違っていても同じ掛詞ということで遠輪廻になる。
「又、竹にうきふしと付て、又、竹と云句にふし侘てと付る事、竹のふしを用事同ければ、不可然也。」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.17)
「一、本歌事
三句に不可渡(本説・物語・同之)但迯歌あらば不可嫌之、凡新古今已来之作者、不可用之、本歌は堀川院百首の作者までをとるべし、又雖為近代作者、證歌には可用之。」(『連歌論集 下』伊地知鉄男編、一九五六、岩波文庫p.299)
本歌、本説(故事などによる付け)、あるいは源氏物語・伊勢物語などの物語を出典として付ける場合は三句に渡ってはいけない。
この場合、たとえ意味や趣向を違えていても、同じ歌、同じ故事、同じ物語を出典としている場合は輪廻になる。
三句目を付けるとき、別の歌、別の故事、別の物語を引いてくる分にはかまわない。これを「迯歌(逃歌)」という。
「たとへば、朝霧と云句に明石の浦と付て、又嶋がくれ行舟と付れば、三句になるなり。
前の朝霧の一句に雖無本歌心、明石の浦を付れば、ほのぼのと明石の浦の朝霧にといふ歌の心に、朝霧の句もなる也。
其ゆへは、彼本歌なくは、朝霧に明石の浦付くべきゆへなけらば也。」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.18)
朝霧という言葉が、前句と特に本歌を取っらずに出てきていたとしても、次の句に「明石の浦」と付いた時は、上句下句合わせて出来上がる歌が、『古今集』の、
ほのぼのとあかしの浦の朝霧に
島隠れゆく舟をしぞ思ふ
読人知らず
このうた、ある人のいはく、柿本の人麿がうたなり
の本歌取りの歌になるからだ。
これに更に「嶋がくれ行舟」を付ければ、同じ「ほのぼのと」の歌を本歌にした和歌が二首並んでしまうことになる。これを嫌う。
「逃歌とは、我舟に乗て漕行に、嶋のみえたる体の句はくるしからず。別の歌の心になれば也。
天ざかるひなの長路を漕くれば明石のとより大和嶋みゆ」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.18)
「朝霧」に「我舟に乗て漕行」と来て「嶋のみえたる」と続ける分には最初の二句は「ほのぼのと」の歌だが、次の二句は『新古今集』の、
題しらず
天離る鄙の長路を漕くれば
明石の門より大和嶋見ゆ
人麿
という別の歌が本歌になるため、「逃歌」になる。この場合もちろん同じ人麿の歌であってもかまわない。
なお、この歌は今日では、
天離る鄙の長道ゆ恋ひ来れば
明石の門より大和島見ゆ
柿本人麻呂
という形で知られている。これは江戸後期の国学の『万葉集』の訓読みで、それ以前は『新古今集』の歌として先の形で知られていた。
『応安新式』では「凡新古今已来之作者、不可用之、本歌は堀川院百首の作者までをとるべし」となっていて、十二世紀の初め頃までの作者(藤原公実・源俊頼・大江匡房・藤原基俊など)の歌はいいが、新古今の時代、つまり俊成・西行・定家などのものは用いないとなっている。
先の人麿の歌は『新古今集』だが、人麿自体は万葉時代の人なのでセーフになる。
ただこれは、
「人のあまねくしらざる歌をば付合に不可好用之。」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.20)
とあるように、みんなが知っているような歌を使いなさいという意味だ。それは連歌が社交の場であって、みんなが楽しめるようにという配慮で、こんなマイナーな歌でも知ってるぞという薀蓄を語る場ではないからだ。
江戸時代の俳諧になると、その辺はかなり揺らいでくる。
「又雖為近代作者、證歌には可用之。」とあるのは、本歌は堀川院百首まででも、それ以降の歌を証歌(證歌)にする分にはかまわないということだ。
本歌と証歌の違いについては「連歌新式永禄十二年注」には、
「本歌と証歌との分別の事。本歌と云は、前句の付合也。証歌と云は、詞づかひ・一句のしたて也。」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.20)
とある。本歌というのは元歌の趣向を借りてきて付けることをいい、証歌というのは、使用している語句の用法の正しさを過去の用例で検証することを言う。
また、
「本歌といふにも猶心え有べし。たとへば、梅に鶯を付、柳に鶯を付、雪に桜、款冬に蛙、又、卯花・橘、五月雨等に時鳥を付、紅葉・萩等に鹿・鴈を付、萩・薄・女郎花等に虫を付事をば本歌とはいはず。」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.20~21)
とあるのは、特に一種の和歌に限定される趣向を借りるのではなく、多くの歌で用いられている組み合わせは、江戸時代の俳諧では「付き物」というが、これは本歌には入らない。
物語も三句に渡ってはいけないが、『源氏物語』のような長い物語であれば、同じ『源氏物語』の別の場面を付けて逃げることはできる。
「源氏物語は、大部の物なれば三句すべし。但、同所は二句ばかりすべきなり。」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.24)
なお、本説は故事によって付けるが、いわゆる「こじつけ」ではない。「こじつけ」という言葉は江戸後期のもので、本来故事と関係ないなかったものを、あとから故事になぞらえる、いわば後付けの故事をいう。
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