あたらしい元号が令和に決まった。常用されてない音となると結構難しいが、よく見つけたと思う。
『万葉集』梅花歌三十二首の序の「初春令月、氣淑風和」から取ったというが、この語句自体が『文選』の張衡「歸田賦」の「仲春令月、時和氣清」に影響されたものだと言われている。
「令月」は季吟撰の『増続山井四季之詞』にも「二月きさらぎ」の所に、「梅見月(蔵玉)、小草生月は仲春、夾鐘、如月、令月、陽中」とある。
曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』にも、「如月、令月 [纂要]二月為仲春、又曰如月、又曰令月、日在営室」とある。
張衡の賦の「仲春令月」が出典になっているのか。
「令」はもともと神のお告げのことで、そこから君主のお告げということで命令の意味にもなれば、清らかなという意味にもなる。
今朝は東の空に細い月が見えたが、旧暦の二月二十六日。ぎりぎりで令月だ。仲春なので梅ではなく桜の季節になる。
まあ、満開の桜の下で誰もが分け隔てなく和めるような、そんな時代が続けばいいなと思う。
それでは『俳諧問答』の続きを、今日は少なめで。
「一、下巻ニ
明月や泣顔見たしかくや姫 撰者 風国
『見たし』の『し』の字、切れざるとおもへると見えたり。これ未来のしにて、切るる也。
『明月や』と切、『見たし』と切て、二ツ切字入たり。
『明月や』とうたがひ、『見たし』とねがハれける事、五文字うたがひ曾て益なし。『明月に泣顔見たし』といひくだせバ、よくきこえ侍る。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.121~122)
これも「座にうつくしき」の句と同様、古い助詞的な「疑いのや」の用法なら、
明月に泣顔見たしかくや姫
の方がいい。「明月にかくや姫の泣顔見たし」の倒置になる。「明月や」とすると、「明月にかくや姫の泣顔見たしや」の倒置となるが、「見たしや」と疑う理由がない。ただ、この頃は詠嘆の「や」の影響が出てきていたのだろう。
「其上此句作例あり。
猶ミたし花に明行神の顔 翁の句也
かづらきの麓にて吟じ給ふ。『花に明行』のかるミと、又明月にかくや姫の顔と云おもみ、吟味なきと見えたり。口おしき事也。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.122)
芭蕉の句は「花に明行神の顔を猶ミたし」の倒置でわかりやすい。
明月に月へ帰らなくてはと泣くかぐや姫も、今で言えば「べた」ということか。
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