2019年4月15日月曜日

 「八九間」の巻の続き。
 十一句目。

   煤をしまへばはや餅の段
 約束の小鳥一さげ売にきて     馬莧

 焼き鳥は今では鶏肉だが、かつては野鳥も焼いて食べていた。雀の焼き鳥はかなり最近まで残っていたし、今でも食べられる所はあるのかもしれない。筆者もまた十五年くらい前に会社の宴会で誰かが買ってきたのを食べたことがある。ツグミもかなり最近まで食べられていたと思う。
 江戸時代だと、その他にも鶉、雉、雲雀、鴫、山鳥、など、様々な鳥が食用にされ、塩鳥にして保存されたりしていた。料理も焼き鳥、煎り鳥、膾、汁など様々に利用されていた。
 正月には将軍家では鶴の御吸物がふるまわれていたが、もっと格下の所では小鳥が用いられていたようだ。
 十二句目。

   約束の小鳥一さげ売にきて
 十里ばかりの余所へ出かかり    里圃

 「て」留めの際は前付けになることがある。この場合も「十里ばかりの余所へ出かかり、約束の小鳥一さげ売にきて」の倒置となる。
 十里は通常の一日の旅の行程で、十里ばかりの余所へということは、その日はもう帰らないということだ。
 小鳥を注文してたのを忘れて、つい泊りがけの外出をしようとしていた。ありそうなことだ。
 十三句目。

   十里ばかりの余所へ出かかり
 笹の葉に小路埋ておもしろき    沾圃

 十里の道を田舎の山越えの道とした。笹は熊笹か箱根笹か。
 十四句目。

   笹の葉に小路埋ておもしろき
 あたまうつなと門の書つき     芭蕉

 前句の笹に埋もれた道を草庵の入口とした。
 「あたまうつな」、つまり今でいう「頭上注意」、小さな門だと必ず書いてありそうだ。
 十五句目。

   あたまうつなと門の書つき
 いづくへか後は沙汰なき甥坊主   里圃

 前句の「あたまうつな」を「ぶたないで」の意味に取り成し、そう書き付けて結局逃げた甥坊主を登場させた。
 十六句目。

   いづくへか後は沙汰なき甥坊主
 やつと聞出す京の道づれ      馬莧

 甥坊主のを探してあちこち聞き込みを行ったところ、やっと道づれと一緒に京へ登ったことが判明した。
 十七句目。

   やつと聞出す京の道づれ
 有明におくるる花のたてあひて   芭蕉

 初裏に月が出たないと思ったが、結局芭蕉さんが月と花を両方詠むことになる。
 「たてあひ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「たて‐あ・う ‥あふ【立合】
 〘自ハ四〙 はりあう。たてつく。抵抗する。
 ※平家(13C前)六「おもひもまうけずあはてふためきけるを、たて

あふものをば射伏せ、きり伏せ」

とある。有明の月の西に傾き、ようやくあたりも明るくなり姿を現した桜の花が、あたかも月と張り合っているかのようだ。
 前句を宿場を発つときの場面として、花月の景を付ける。
 十八句目。

   有明におくるる花のたてあひて
 見事にそろふ籾のはへ口      沾圃

 桜の季節は苗代作りの頃でもある。

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