2019年4月17日水曜日

 暖かくなった。木の芽時で街も山も至る所、まばゆい緑であふれ出す頃だ。月のほうも弥生の満月が近い。
 弥生は張衡「南都賦」に「暮春之禊,元巳之辰。方軌齊軫,祓于陽瀕。」とあるところから「禊月」というらしい。曲亭馬琴の『増補 俳諧歳時記栞草』にある。二月は令月、三月は禊月。
 それでは「八九間」の巻の続き。

 二十五句目。

   槻の角のはてぬ貫穴
 濱出しの牛に俵をはこぶ也     芭蕉

 「濱出し」は年貢米を船で積み出すことで、米俵を運ぶ牛や馬で混雑したという。一句の意味は明瞭だが、前句との関係が不明。
 二十六句目。

   濱出しの牛に俵をはこぶ也
 なれぬ嫁にはかくす内證      沾圃

 「内證」はweblioの「学研全訳古語辞典」には、

 「①心の中に仏教の真理を悟ること。また、その悟った真理。
 出典徒然草 一五七
 「外相(げさう)もし背かざれば、ないしょう必ず熟す」
 [訳] 外部に現れた姿が正しい法に反しなければ、内心の悟りは必ずでき上がってくる。◇仏教語。
 ②内密。秘密。内輪(うちわ)の事情。
 出典好色一代女 浮世・西鶴
 「ないしょうの事ども、何によらず外(ほか)へ漏らさじ」
 [訳] 内輪の事情は何によらず、他人には漏らすまい。
 ③暮らし向き。家計。ふところぐあい。
 出典博多小女郎 浄瑠・近松
 「身請けするほど、ないしょうがあたたかで」
 [訳] 身請けするほど、ふところぐあいが豊かで。
 ④主婦がいる奥の間(ま)。また、主婦。

とある。②の意味だと「かくす」と「内證」が重複するので、③の意味と思われる。
 年貢をどれくらい納めているか隠しているという意味か。この二句はよくわからない。まったく違う意味があるのかもしれない。
 二十七句目。

   なれぬ嫁にはかくす内證
 月待に傍輩衆のうちそろひ     馬莧

 「月待(つきまち)」はコトバンクの「百科事典マイペディアの解説」に、

 「十五夜,十九夜,二十三夜などの月齢の夜,講員が寄り合って飲食をともにし月の出を待つ行事。二十三夜待が盛んで三夜供養ともいう。集落全員の講や女性のみの講もあり,村の四つ辻に二十三夜塔が建てられた。日の出を待つ日待と並ぶ物忌(ものいみ)行事。」

とある。「傍輩」は今でいえば「同僚」のような意味で、同じ主人に使えている仲間。まあ、男達が寄り集まると大体女の話で盛り上がり、いろいろと女房には言えないことをやってたりするものだ。
 二十八句目。

   月待に傍輩衆のうちそろひ
 籬の菊の名乗さまざま       里圃

 「籬の菊」は比喩で遊女のこと。「月」が出たところで秋の季語が必要なので、この言葉を選んだか。
 二十九句目。

   籬の菊の名乗さまざま
 むれて来て栗も榎もむくの声    沾圃

 前句を本物の菊として、椋鳥が名乗りを上げるとした。
 三十句目。

   むれて来て栗も榎もむくの声
 伴僧はしる駕のわき        芭蕉

 椋鳥が群れる栗や榎を大きなお寺の境内の情景とし、偉いお坊さんが駕籠で行く隣で走っているお伴の僧という、身分の上下をコミカルに描いてみせる。
 ただ、芭蕉さん自身も旅のときには自分は馬に乗って曾良を歩かせたりしなかったか。蝶夢筆の『芭蕉翁絵詞伝』の那須野の場面はそういう風に描かれている。これが事実かどうかは知らないが、まあ世の中というのはそういうものだ。

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