昨日は渋沢の千村に八重桜を見に行った。
そこから八国見山に登り、真新しい霊園を横切って七滝の方へ行こうとしたが、道が見つからずに結局そのまま新松田に出て帰った。
それでは「八九間」の巻の続き。
初裏。
七句目。
ぜんまひかれて肌寒うなる
手を摺て猿の五器かる草庵
旅の宿 見
句も作者も最終稿とはまったくちがう。
「五器」は「五具足」に同じ。「五具足」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」には、
「仏前に供える、華瓶(けびょう)一対、ろうそく立て一対、香炉一基の五つの仏具。五器。」
とある。
これとは別に「御器」だと、コトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、
「《「ごうき(合器)」の音変化》
1 ふたつきの食器。特に、わんのこと。
「―なくてかはらけにてあるぞ見慣らはぬ心地する」〈讃岐典侍日記・下〉
2 修行僧などが食物を乞うために持つ椀。」
とある。
また、呉器茶碗のことも五器という。
「猿の五器かる」はそのまま読むと猿が所有する五器を拝借するということになる。それも「手を摺て」だから猿に頭を下げてお願いするような場面になる。だが、なぜ猿が五器を持っていて人間がそれにお願いして借りなくてはならないのか、そこのところがよくわからない。
猿が所有する五器を借りるのではなく、猿が五器を借りる、つまり持ってゆくという意味だと、今度は猿が手を摺ったりするだろうか、ということになる。
それにいずれにしても季語がない。ここは秋でなくてはいけないはずだ。それも、「月」「肌寒」と来たわけだから、ここは放り込みで「庵の秋」でも「宿の秋」でもいいはずだ。
となると、「猿の五器」がたとえば何かの秋の植物の異名であるのか、そういう可能性も出てくる。その場合は「猿の五器刈る」であろう。それだとしても「手を摺る」がわからない。
いずれにせよこの句は謎で、これが最終的に治定されなかったのは幸いだ。
治定された「渋柿の」の句は別の発想から生まれた新しい句で、作者名が違うのもそのためだろう。
八句目。
手を摺て猿の五器かる旅の宿
みしらぬ孫が祖父の跡とる
跡とり 沾
前句が謎だからこの句も前句にどう付いているのか分かりにくい。
祖父の跡取りと称するものが不意に現れて、手を摺ってお願いして遺産を持って行ったか。
ここも作者名が変えられている。
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