さて、そろそろ『俳諧問答』に戻そう。
「一、加賀北枝集に云ク、序ニ翁三年忌に木曽塚へ上りて、追善の句書入たり。
笠提て塚を廻るや村しぐれ
と云句也。此一句にて、大方奥まで決定せり。
句にかくれたる事なし。湖南の衆もとりたるか、集の序文ニハ書入たり。
中の七字のやの切字、うたがひ也。遥々加州より師の追善ニ上りて、何のうたがひあるいや。
惣別自句・他句といふ事をしらぬ程の作者也。此句ハ北枝が句ニハあらず。『塚をめぐるや』といへば他句也。自句ニハ非ズ。加賀の友などの句にて、北枝の事をおもひやりたる句也。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.130~131)
句は「村しぐれに笠提て塚を廻るや」の倒置。折からの時雨も止み笠を手に持って芭蕉を祀った木曽塚を訪れたのだろう。
他人から見れば「訪れたのだろう」でいいが、本人が行ったのなら「尋ねた」というところで、「廻るや」と疑ってしまうと他人の推測になってしまう。
後に去来は『去来抄』でこう反論している。
「笠提て墓をめぐるや初しぐれ 北枝
先師の墓に詣ての句也。許六曰、是ハ脇よりいふ句なり。自ラ何の疑有てやとハいはん。去来曰、やハ治定嘆息のや也。常に人を訪にハ、笠を提さげて門戸に社入レ。是ハおもひのほかに墓をめぐる事哉やといへる也。凡ほ句ハ一句を以て聞べし。笠提て門に這入やといはば疑なき外人の句也。(岩波文庫『去来抄・三冊子・旅寝論』p.31)
ここでは「塚」が「墓」になっている。内容的には大きな違いはない。
去来はこの句の「や」を「治定嘆息のや」と言っている。
ただ、後世でいう「詠嘆」と違うのは、「治定」というところに、不確定な所を決定するという含みを持っている。つまり「かな」と同じような用法になる。
前回「疑いのや」に二種類あって、主観的で空想的な内容を「かのようだ」というニュアンスで受ける「や」と、もう一つ古池の句のような「だろうか」というちょっとぼやかした治定で用いる「や」があった。去来は後者を「治定嘆息のや」と言ったのかもしれない。
「治定嘆息のや」であれば、「かな」との交替も可能だ。
たとえば、
木のもとに汁も膾も桜かな 芭蕉
は、
木のもとや汁も膾も散る桜
としてもそれほど意味は変わらない。
古池や蛙飛び込む水の音 芭蕉
も、
古池に蛙飛び込む水音哉
ともできなくはない。
去来も「是ハおもひのほかに墓をめぐる事哉や」と「哉」に「や」を加えている。
ただ、北枝が芭蕉の追悼に木曽塚を訪れたのなら「おもひのほか」ではなかったはずだ。
むしろここは「折から初しぐれ日に塚を廻ることができるとは」と取った方がいいかもしれない。
「初しぐれ」といえば、「猿に小蓑を」の句がすぐに思い起こされる。その初しぐれの日に塚を廻ることのできためぐり合わせに、単に事実として「塚をめぐれり」ではない感動があったとしたら、「や」で治定する理由もあったといえよう。
「やと切字を入るれバ、発句に成と斗おもふ程の作者、撰者する事あハれ也。とりて追善ニしたる湖南の作者達、同じめくらのあつまり也。
其追善に手向る人ハ、俳諧名人の師匠也。北枝ごときの者ニ手向侍らバ、霊魂の□□事もあるべし。師ハ此追善、とり申さるる事にハあるまじ。又自句をやるとて、丈草の庵と云句もききあき侍る也。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.131)
まあ、今ならネットで「桟や」の句を持ち出されてブーメランになりそうだ。
丈草の「庵と云句」は、『初蝉』の、
死ンだとも留守ともしれず庵の花 丈草
の句だろうか。同じ『初蝉』に、
芭蕉翁塚にまうでて
陽炎や塚より外に住ばかり 丈草
の句もある。
死んだとも留守とも知れずひっそりと庵に暮らす自分、まだ塚には入っていないが陽炎のような自分、これがまあ丈草らしい自句だが。
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