今日旧暦二月二十九日で、令月も今日で終わり。
都心の桜の花もあれから散り止っている。週末はまだ楽しめそうだ。
それでは『俳諧問答』の続き。
「一、菊の香ニ云ク、
秋来ぬと桔梗刈かや売にけり 風国
此ク、『秋来ぬと』五文字をかば、下のとまりにてハあしく、とまらず。
歌仙ノ内
秋来ぬとめにハさやかに見えね共
風の音にぞおどろかれぬる 作者おぼえず
六百番歌合
秋来ぬと風のけしきハみゆれ共
猶涼しさハをとせざりけり 経家卿
此二首の歌にてしれたり。
『秋来ぬと』いふハ、下ニてにはをまハらする為における五文字なり。此句、下ニ『けり』と治定せり。五文字不用の句也。
心かくれたる所なけれバ、人々よろしからぬ句と斗見なして、気をとどぬる人なし。
『売にけり』といふとまりハ、下へつづかず。五文字へもどる心なくてハ、『秋来ぬと』ハをくべからず。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.124~125)
「秋来ぬと」は許六によれば、下に「秋来ぬ」の内容を受ける言葉で、その内容によって秋来ぬとしなけらばならない。
例とした挙げた和歌でいえば、「めにハさやかに見えね共風の音にぞおどろかれぬる」ので秋が来たなあとなり、「風のけしきハみゆれ共猶涼しさハをとせざりけり」なので、まだ秋が来てまもないなあとなる。
これでいうと、
秋来ぬと桔梗刈かや売にけり 風国
の句は、桔梗刈かやを売りに来たからあきがきたんだなあ、ということになる。
これは「と」という助詞に、自分がそう思うというよりも人はそう思うという無人称を読み取るからではないかと思う。
秋来ぬと人はいうけれど、眼にはさやかに見えない。秋来ぬと人がいうとおり、風のけしきはみえる。こういう続き方からすれば、秋来ぬと人はいうが、桔梗刈かや売りにけり、では確かにおかしい。
「此句、
秋来ぬと桔梗刈かやをぞ売にける
とあらバ、一句もとまり、五文字の『秋来ぬ』相続すべし。
撰者かやうのてにハしり給はずして、撰集扨々おぼつかなし。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.125~126)
「桔梗刈かやをぞ売にける」は「桔梗刈かやを売にけるぞ」の倒置。秋が来たと人は言うが、そういえば桔梗刈かやを売りに来ているなとなれば、句は丸く収まる。
思うに風国は「秋来たり、桔梗刈かや売りにけり」と言いたかったのではないかと思う。ただ、これだと切れ字が二つ入ってしまうので、上五に「と」を入れて回避しようとしたのではないかと思う。
「一、同
秋風や誰にかミつく栗のいが 豊後 幽泉
此五文字のや、うたがひ也。又『誰にかミつく』と二ツうたがひあり。
『秋風や』とかける程に、秋風の事あるべしとおもふ時、曾て秋風の事なし。下ハ栗のいがの事にて果たり。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.126)
この「や」は詠嘆の「や」と言っていいだろう。「秋風に」でも「秋風は」でも「秋風を」でも「秋風の」でも意味が通らない。噛み付く栗のイガに対して秋風は直接的な関係がなく、近代俳句でいう二物衝突といってもいい。ある意味近代的な句だ。
「秋の風誰にかミつく栗のいが
とあらバ、秋風にゑめるいがハ、『誰にかみつく』ときこえべし。
『秋風や』の字ニて、跡に風の詮なし。曾てきこえず。二ツに成也。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.126)
「ゑめる」は「笑める」か。秋風ににっと口を開く栗のイガが、一体誰に噛み付くというのか、という反語になる。ただ、これは作者の意図とは逆だろう。多分、口をあけて中の栗が見えている状態を歯を剝き出しにしているとしたのではないかと思う。それだと秋風と栗のイガは特に必然性もなく並列されているだけで、「二ツに成也」つまり二物衝突の句となる。
行あきや手をひろげたる栗のいが 芭蕉
の句があるが、これに影響されたか。
芭蕉のこの句は「行あきに栗のいがの手をひろげたるや」の倒置で、秋も終わり頃になると実を握っていた栗のイガが力尽きて実をこぼす様を詠んでいる。「行く秋」と「手を広げたる」の間には十分な必然性がある。
「晋子が句ニ
初雪や内に居さうな人は誰
といふ句、『初雪や』とうたがひて、跡の詞全体雪の噂さ也。此句、『秋風や』といひて、跡ハ栗の事也。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.126~127)
晋子(其角)の句は「初雪や」のあとにその雪の話題が続くが、幽泉の句は「秋風や」のあと秋風と関係なく栗の話になる。
「切字二ツ入て一句きこえる発句ハいくつもあれ共、成程一句連続してきこえ侍る句ならでハ、二ツ三ツハ入がたし。二字切・三句切ハ此格也。此句、
初雪に内に居さうな人ハたれ
といはむけれ共、にの字重畳せる故に、『初雪や』とをきて、やの字ハ畢竟捨やの心也。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.127)
其角の句は「初雪に内に居そうな人は誰」の「に」の重複を嫌うもので、「誰」の内に含まれている疑いに意味を、倒置にするという、隠れた「や」を前に持ってきたわけだ。
今の言葉だと「誰(だれ)や」というが、この場合の「や」は「誰?や?」と二重に疑ってはいない。この「や」は詠嘆の「や」(あるいは関西弁の「や」)だ。芭蕉の時代だと「誰ぞ」とするのが普通だ。「誰(た)ぞや」とは言う。
「かやうの句の真似をして、俗俳共、てには自由にをくといへ共、てにハといふ物、一字も動かしがたし。
おそろしや誰にかみつく栗のいが
とあらバ、如何にも「や」として、誰共いはれむか。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.127)
幽泉は其角の真似をしたのではなく、おそらく口語としては既に用いられていた詠嘆の「や」(関西弁の「や」)を取り入れたのだろう。てにハという物、時代によって動くものだ。
「おそろしや」の案は「おそろしや」の内容をその後に続けるから意味が通る。
0 件のコメント:
コメントを投稿