今日は十四夜でほぼ満月。
「八九間」の巻も今日で挙句。
二裏。
三十一句目。
伴僧はしる駕のわき
削やうに長刀坂の冬の風 里圃
長刀坂は京都の広沢池の北側にあり、今日も北嵯峨長刀坂町の名前で残っている。削(そ)ぐような冬の風といえば北山颪だ。
伴僧からお寺の多い京都の風景とした。
十六句目の「京の道づれ」は甥坊主が京へ上るときに道づれにしていた一般人のことだから遠輪廻にはならない。
三十二句目。
削やうに長刀坂の冬の風
まぶたに星のこぼれかかれる 馬莧
まさに目から星の出るような寒さだ。医学的には「眼内閃光」と言うらしい。
「眼内閃光」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、
「目を閉じて眼球を圧迫したときなどに見える閃光。網膜の物理的刺激によって生じる内視現象の一。」
とある。
三十三句目。
まぶたに星のこぼれかかれる
引立てむりに舞するたをやかさ 芭蕉
これは静御前の舞い。悲しみに目を閉じれば無数の星が浮かぶ。
それとははっきり言わないが、義経と静御前の悲しみが伝わってくる。
三十四句目。
引立てむりに舞するたをやかさ
そつと火入におとす薫 沾圃
「火入」にはいくつかの意味があるが、ここでは「タバコを吸うための炭火などを入れておく小さな器。」(コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」の①」であろう。
前句の「引立(ひきたて)て」をひっ捕らえての意味ではなく、贔屓しての意味に取り成し、お座敷の一場面とする。
火入れに薫物(たきもの)を入れて香らすとは、なかなか粋なことをするものだ。
三十五句目。
そつと火入におとす薫
花ははや残らぬ春のただくれて 馬莧
桜の花もすっかり散ってしまい、春の日はただ長閑に暮れてゆく。薫物の香りだけが少しばかり花やいだ気分にさせてくれる。
あるいは昔の恋人のことでも思って、その思い出に浸っているのだろうか。
挙句。
花ははや残らぬ春のただくれて
瀬がしらのぼるかげろふの水 里圃
「瀬がしら」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、
「緩やかな流れから、瀬になりかかって波が立ちはじめる所。⇔瀬尻。」
とある。
この場合の陽炎は水陽炎であろう。太陽の光が波に反射してゆらゆらゆれて見えるものを「かげろふ」と呼ぶこともあった。
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