ノートルダムは炎上するし、阿蘇山は噴火するし、いろいろなことが起きるものだ。花の散る頃、無常を感じる。
そういえば「花のノートルダム」は正花になるのかなあ。
それはともかくとして、「八九間」の巻の続き。
二表。
十九句目。
見事にそろふ籾のはへ口
春無尽まづ落札が作太夫 馬莧
「無尽」は無尽講のこと。延宝四年の「此梅に」の巻に、
ももとせの餓鬼も人数の月
大無尽世尊を親に取たてて 桃青
という句があった。その時のと重複するが、「無尽」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、
「口数を定めて加入者を集め、定期に一定額の掛け金を掛けさせ、一口ごとに抽籤または入札によって金品を給付するもの。→頼母子講(たのもしこう)」
とあり、「頼母子講」は同じくコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に
、
「金銭の融通を目的とする民間互助組織。一定の期日に構成員が掛け金を出し、くじや入札で決めた当選者に一定の金額を給付し、全構成員に行き渡ったとき解散する。鎌倉時代に始まり、江戸時代に流行。頼母子。無尽講。」
とある。
作太夫(さくだいふ)はよくわからない。『校本芭蕉全集 第五巻』の注には、「律儀で百姓熱心な人の仮名」とあるが、それは前句からの想像であろう。
「大夫」をウィキペディアで引くと、
「やがて時代が下ると大夫は五位の通称となり、さらに転じて身分のある者への呼びかけ、または人名の一部として用いられるようになった。五位というのは貴族の位の中では最下の位であったが、地方の大名や侍、また庶民にとってはこれに叙せられるのは名誉なことであった。そこでたとえ朝廷より叙せられなくとも一種の名誉的な称号として、大夫(太夫)を称するようになったのである。以下その例をあげる。ただし「太夫」と表記し「たゆう」と読む例が多い。
神道
伊勢神宮の神職である権禰宜が五位に叙せられていたことから、神職のことをいう。のちに神職でも下位の者である御師を太夫と呼ぶようになった。
武家での通称
江戸時代、大名の家老職に当る者を指して太夫と呼ぶことがあった。
芸能
神職を大夫と呼ぶことから転じて、里神楽や太神楽の長を太夫と称した(里神楽・太神楽については神楽の項参照)。
能楽
猿楽座(座)や流派の長(観世太夫など)を指し、古くは「シテ」の尊称として使用された時代もあったが、現在は使用されていない[1]。
浄瑠璃
江戸時代以降、音曲を語る者、またはその名の一部に用いる(竹本義太夫など。女性には用いない)[1]。
歌舞伎
江戸時代の歌舞伎の一座で座元のこと。座元の息子や跡継ぎを「若太夫」とも称した。立女形への尊称[1]。
遊廓
江戸時代、江戸吉原や京島原大坂新町における官許の遊女で最高位にある者への呼び名。「松の位」とも呼ばれ、その名の一部にも用いられた(夕霧太夫、吉野太夫、高尾太夫など)。遊女をなぜ太夫と呼ぶのかについては諸説あるが、江戸時代初めのころ、能を演じた遊女が能楽の太夫に倣って称した(または称された)のが起りともいわれる。宝暦4年(1754年)に廃止され、江戸・吉原では以後名称は花魁(おいらん)に変わったが、京・島原、大坂・新町では「太夫」の名称が残り、嶋原では今も数名の太夫が存在する。
「太夫 (遊女)」も参照
幇間
敬称(「太夫衆」など)。
門付
萬歳・猿まわし(猿も含む)等の門付芸人に対する呼び方。」
と様々な大夫(太夫)が列挙されているが、百姓の太夫も存在したのかどうか定かでない。
太夫=神職の連想で、前句を御田植祭の苗とした可能性もある。
二十句目。
春無尽まづ落札が作太夫
伊勢の下向にべつたりと逢 里圃
太夫=神職なら、伊勢は付け合いのようなものといえよう。「べつたり」は今日の「ばったり」だという。
伊勢へ行ったらその無尽講を入札した太夫にばったりと逢ったとする。何かご馳走してもらったかな。
二十一句目。
伊勢の下向にべつたりと逢
長持に小挙の仲間そはそはと 沾圃
「小挙(こあげ)」は「小揚(こあげ)」と同じか。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「① 船積みの荷物を陸揚げすること。また、その人。小揚取。小揚人足。
※咄本・私可多咄(1671)一「馬おひは、いつもこあげにゆくといふほどに、子あぐる事がじゃうずであらふ」
② 荷物を運搬する人夫やその荷物。また、特に駕籠かきなどの人夫をもいう。小揚軽子。小揚取。
※評判記・色道大鏡(1678)二「大臣附のこあげ、かけめぐりて簍(かご)を用意し」
③ 徳川幕府がその直領地からの年貢米や買上米を蔵へ収納する時、陸揚げをしたり、あるいは米を量り、俵配りなどをしたりすること。また、それに従事した人夫。〔物類称呼(1775)〕
④ 江戸時代、道中の渡し場で、きまった渡し賃以外にとった料金。
※民間省要(1721)中「わざと人を肩に負〈略〉過分の小揚げを目あてにするもあり」
⑤ 小形の油揚(あぶらあげ)。
※浮世草子・諸道聴耳世間猿(1766)二「小揚(こアゲ)買うも悪銭(びた)ひらなか」
とある。
伊勢へ向う船か行列かはわからないが、長持ちは貴人の婚礼か何かを連想させる。それで小挙もそわそわしているのだろう。
あるいは古代の伊勢斎宮の赴任をイメージしたか。
二十二句目。
長持に小挙の仲間そはそはと
くはらりと空の晴る青雲 芭蕉
青雲というとお線香を連想してしまうが、ここでは「あをぐも」と読む。コトバンクの「デジタル大辞泉の解説」には「青みを帯びた灰色の雲」とある。明方や夕方に見られる。
前句を船着場の光景とし、空が晴れたので荷積みを開始する。快晴ではなく、嵐の雲が去って、薄暗い空に雲が青く輝いている情景をいう。
二十三句目。
くはらりと空の晴る青雲
禅寺に一日あそぶ砂の上 里圃
禅寺に遊ぶといえばまずは座禅、そしてお坊さんの法話を聞いたりし、あとは精進料理を食べたりすることか。そうやって心の雲もからりと晴れ、青雲の志を新たにする。
二十四句目。
禅寺に一日あそぶ砂の上
槻の角のはてぬ貫穴 馬莧
槻(けやき)の角材は硬くてなかなか穴があけられない。この句自体が禅問答といった感じだ。
寓意としては頭が固ければ悟りも得がたいという所か。
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