2019年4月6日土曜日

 『俳諧問答』の続き。てにはの論は退屈かもしれないが、言葉の時代による変化を知らずに今の文法で昔のものを読んだのでは、本来の意味を読み誤ることになる。
 大事なのは許六の言が今日に通用するかどうかではなく、それより前の時代に通用していたかどうかだ。

 「一、同じ集に、
 かたはらもいたむ簀の戸や冬の月   風国
 簀の戸、ききなれず。簀戸とハいふ也。詞たらぬゆへに、てにはを入て連続させたると見えたり。是こまり也。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.128)

 「簀戸(すど)」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 「1 竹を粗く編んで作った枝折戸(しおりど)。
  2 ヨシの茎で編んだすだれを障子の枠にはめこんだ戸。葭戸(よしど)。《季 夏》
  3 土蔵の網戸。
  4 「簀戸門(すどもん)」の略。」

とある。ちなみに「簀の戸」という項目はない。許六の言うとおり、字数合せで「の」の字を入れたものと思われる。
 蕪村も牡丹を「ぼうたん」と読ませて字数を調整したが、近代俳句ではそれに習って多用されたため、俳句の世界では「ぼうたん」は有りになっている。
 「簀の戸」も結局真似て使う人が多くなれば、それはそれで有りということになっていたのだろう。
 人が歩けばそこに道ができるように、みんなが使えばそこに言葉ができる。

 「一、同じ集に、
 命二ツ中に活たる桜哉      翁
 是、『命二ツの』と文字あまり也。
 予芭蕉庵にて借用の草枕ニ、慥にのの字を入たり。のの字入て見れば、夜の明るがごとし。しらざる時ハ是非なし。しかし風国が文章に、のざらしの集などいへる事あれバ、見ざるともいひがたし。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.128~129)

 この句は『野ざらし紀行』の水口で詠んだ句で、

 命二つの中に生たる桜哉     芭蕉

の形で今日では知られている。
 許六も「の」が入ることを芭蕉庵で確認している。
 風国はこの翌年の元禄十一年に『泊船集』を編纂し、そこに「芭蕉翁道乃紀」というタイトルで、今で言う『野ざらし紀行』を紹介している。芭蕉のこの文章には本来タイトルはなく、『甲子吟行』だとか『野ざらし紀行』だとかは後から付けられたタイトルだった。
 この『泊船集』の方はネットで早稲田大学図書館のものを見ることができるが、「二ツ」となっている。ツの右側の斜めの線が長く引き伸ばされているが、別に「ノ」と連綿しているわけではなさそうだ。
 あるいは風国が見た写本は「ツ」と「ノ」が連綿していてわかりにくかったのかもしれない。
 芭蕉自筆の天理本は確認してないが、岩波文庫の『芭蕉紀行文集』の中村俊定校注の天理本には「いのちふたつの」となっている。同じく芭蕉自筆の『甲子吟行画巻』には「二」の文字の下に「能」に由来する変体仮名の「の」の字が書かれている。
 ネット上にある濱森太郎「孤屋本『野ざらし紀行』再論(下)」には、

 「許六は恐らく、芭蕉の指導を受けた江戸在勤中(元禄五・六年)、『紀行』を借覧する機会を得ていたものと思われる。その時、画才の豊かな許六が借覧するにふさわしい本分は『濁子清書画巻』(または同系の一本)ではあるまいか。」

とある。
 許六はこの『俳諧問答』の後、『泊船集』の「芭蕉翁道乃紀」を読み、自分の知っているのと違うと思ってそれを手直ししたのが孤屋本の『野ざらし紀行』(元禄十一年六月の奥書)たっだのではないかと、濱森太郎氏は推定している。
 いずれにせよ、芭蕉の真蹟が二つとも「の」が入っているのだから、「の」が入っている形が芭蕉の本来意図した形と見て間違いはないだろう。

 「一、同じ集ニ、
 爰もはや馴て幾日ぞのミしらミ    惟然
 扨々大切成ル切字を大分入て、手間を入られたれ共、弥きこえ兼侍る也。『はや』の『や』も、七ツのやの中にて、切る也。『いく日ぞ』の字、三ツ入たり。ぞの字曾てきこえず。のの字たるべし。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.129)

 これはどうだろうか。「はや」は「早い」の「や」で切れ字とは思えない。「も+は+や」という三つの助詞の重なったものだと思ったのだろうか。
 ただ、「いくつ」だとか「いずこ」だとか「いかに」だとかいう疑問の言葉には、本来雅語では「ぞ」で結ぶことはなかったのかもしれない。芭蕉の句にも思い浮かぶものがないから、疑問を強調するために「ぞ」を添えるのは口語の用法だったのかもしれない。「誰(た)ぞ」とは言うからそれが拡張されたのか。

 「一、此外合点そがたきてにはあれ共、ながく成るゆへ、其分にさし置く。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.129)

 ここで一応の区切りになると思ったら、その後も北枝の句でまたてにはの論になる。まあ、このあたりは少し省略する。

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