昨日は香取神宮と水郷佐原を見た。佐原の小野川沿いの古い町並みに柳がちょうど見頃だった。この時期の柳はよく見るとちゃんと緑の花が咲いている。
さて、この辺で実際に「や」という切れ字がどのように使われていたか、一句一句検証してみようと思う。
こうした場合、自説に都合の良い句だけを抜書きするのは簡単なので、できる限り句を選ばずに紹介したい。その一つの方法として、まず岩波文庫の『芭蕉俳句集』(中村俊定校注、一九七〇)の最初の句から、「や」という切れ字の入った句を拾ってゆくことにする。
廿九日立春ナレバ
春やこし年や行けん小晦日 宗房(千宜理記)
この句は「春は来しや、年は行きけんや、小晦日」の倒置になる。
この「や」を詠嘆として読んだ場合、「春やこし」は「春が来た」という意味で問題ないが、「年や行けん」の「けん」が推量の「けむ」の撥(は)ねた形なので、推量に詠嘆はおかしい。ゆえに「春やこし」も「春が来たのだろうか」と疑いの「や」にしておいた方がいい。
この句は年内立春がテーマなので、『古今集』の、
ふるとしに春たちける日よめる
年のうちに春は来にけりひととせを
去年とやいはむ今年とやいはむ
在原元方
の歌が本歌になっていると考えた方がいい。
この歌の「去年とやいはむ今年とやいはむ」の言い回しは、中世以降だと「去年とやいはん今年とやいはん」と撥ねるようになる。
この歌の「や」が「疑いのや」なのは間違いない。
それならば宗房(芭蕉)の句はというと、やはり年内立春なので、二十四節季では春は来て年は行ったのだが、十二ヶ月で見ればまだ春は来てないし年は行ってない。その微妙な時期を「や」という疑いで表わしたと見た方がいいだろう。
春は来たのだろうか、年は行ったのだろうか、というはっきりしない言い回しで何かと思わせて、「小晦日」と結ぶことで、なるほど年内立春だということになる。
姥桜さくや老後の思ひ出 宗房(佐夜中山集)
「姥桜」は花だけが最初に咲いて後から葉が出て来る桜のことで、ソメイヨシノを初めとして江戸彼岸、枝垂桜、寒緋桜、河津桜、おかめ桜、春めき桜など、今の桜の主流は姥桜だが、かつては花と葉が一緒に出るヤマザクラが主流だったので、それに対して「姥桜」という言い方があった。
「思ひ出(いで)」は過去の「思い出」に限るものではなく、むしろ何かを思わせてくれるもの、思い出させてくれるもの、思い起こさせてくれるものを広く表わしていた。
この句は姥桜が咲くと老後のことがふと気がかりになるというような意味で、「老後の思ひ出」が客観的事実ではなく主観的な内容なので、姥桜が老後を思い起こさせるために咲いているかのようだ、というニュアンスで疑いの「や」が用いられている。
「姥桜は老後の思ひ出に咲くや」の倒置と考えればいい。
年は人にとらせていつも若夷 宗房(千宜理記)
年や人にとらせていつも若ゑびす 同(詞林金玉集)
「は」と「や」の交替の一例。
若夷はいつも若々しいが、それは人に年を取らせているからではないか、とこれも主観的な推測であるため、この場合の「や」も疑いの「や」になる。
時雨をやもどかしがりて松の雪 宗房(続山井)
時雨をばもどきて雪や松の色 同(詞林金玉集)
「もどかし」はじれったいという意味。時雨じゃ物足りないのか松に雪が積もっているといういみだから、この場合の「や」も疑いの「や」といえる。
「時雨をばもどかしがりて松の雪や」の倒置で、「続山井」の方は、「ば」のところに「や」を持ってくる。
「詞林金玉集」の方は、「雪や」を前に持ってくる。「もどかしがりて雪や松」では字数が合わないので「もどかし」の元の動詞形「もどく」に戻し、最後が松だけでは収まりが悪いので「松の色」とする。
花の顔に晴うてしてや朧月 宗房(続山井)
「晴(はれ)うて」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「〘名〙 晴れの場所に出て気おくれすること。その場の空気にのまれてあがってしまうこと。場うて。
※俳諧・毛吹草(1638)六「月に星猶晴(ハレ)うての今夜かな〈重頼〉」
とある。」
花が余りにも見事に咲き誇っているので、月は気後れしてしまったか、朧月になる、という句で、これも「晴れうてして」は推測なので疑いの「や」で受ける。
あち東風や面々さばき柳髪 宗房(続山井)
「面々さばき」はgoo辞書の「デジタル大辞泉」に、
「各自が思うままにさばくこと。めいめいさばき。
「構ふな、こちも構はぬ構はぬ、―」〈浄・浦島年代記」
とある。意のままに、自由にふるまうという意味。制約のない自由のことを江戸時代の人はしばしば「かまわぬ」という言葉で表現した。
「柳髪はあちこちで面々さばきや」の倒置。「面々さばき」が喩えなので、やはり「や」は疑いの「や」となる。
柳の髪(枝)は春風のことを東風(こち)というように、あちこちで東風に吹かれて、思いのままに自由にふるまう。
一見単なる駄洒落のように見えて、実はフリーダムの理想を説く隠れた名句かもしれない。
花に明ぬなげきや我が歌袋 宗房(続山井)
花にあかぬ嘆やこちのうたぶくろ 宗房(如意真宝)
『続山の井』では「我が」だったのを、更に一ひねりして東風(こち)と掛けた「こち」という一人称に変えたのが『如意真宝』のバージョンだ。
「我が歌袋が開かぬのは花に飽かぬ嘆きなのか」と疑う意味で「嘆きや」となる。
初瀬にて人々花みけるに
うかれける人や初瀬の山桜 宗房(続山井)
芭蕉の時代はまだ飛鳥山のような官製の公園がなく、寺社で花見をしていた。寺社を詣でるというのが口実になっていたのかもしれない。だが、やることはやはり酒を飲んでのどんちゃん騒ぎだ。しばしば禁制も出たというが、そんなのお構いなし、まさに「かまわぬ」だ。
奈良の初瀬の長谷寺もそんな場所だったか。人々はそこで花に浮かれていた。
句はもちろん、
憂かりける人を初瀬の山おろしよ
はげしかれとは祈らぬものを
源俊頼朝臣
の換骨奪胎の句。
「うかりける人を初瀬の山桜や」の倒置。山颪ならぬ山桜や、というところで、これも疑いの「や」。関西弁だと「やがな」に近いか。
糸桜こやかへるさの足もつれ 宗房(続山井)
「糸桜、こはかへるさの足もつれや」の倒置。帰ろうとすると足をもつれさせて引きとめているのかと、やはり疑いの「や」になる。
風吹ば尾ぼそうなるや犬桜 宗房(続山井)
吹風は尾細くなるや犬さくら 同(一葉集)
犬桜はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、
「バラ科の落葉高木。山野に自生。樹皮は暗灰色でつやがあり、春、白い小花を密につけるが、見劣りするのでこの名がある。実は黄赤色から黒紫色に変わる。《季 春》」
とある。
犬桜は犬の尻尾のようにふさふさとした花房を付けるが、風で散れば細いただの枝のようになる。それを犬桜だけに尾が細くなったのかとする。こうやって現代語で説明する時に「か」という言葉を使いたくなる時は、大体疑いの「や」になる。
まあ、大体これくらい列挙すれば、「や」という切れ字の古い時代の用法やニュアンスがわかるのではないかと思う。
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