不易はもちろん単なる基だとか本意本情だとかいう伝統に限定されるものではなく、人間の心の奥深くに潜む言い表しがたいもので、説明のつかないもの、「陰陽不測」を『易教』では「神」と呼んでいた。
其角にとって不易は「俳諧の神」だった。
一方、芭蕉は許六に教える時には、これを「血脈」と呼んでいたようだ。「血脈」だとやはりまだ「伝統」というニュアンスが濃い。
その許六が其角に代わって「贈晋氏其角書」に反論し、「贈落柿舎去来書」をしたためることになる。
「千歳不易・一時流行のふたつをもつて、晋子が本性を論ぜらるるは、かねて其角が器をくわしく知りたまはざる故なり。生得物にくるしめる志なく、人の辱しめをしらず。故に返答の詞なく、かへつてことば色どり、若葉集の序とす。是、はぢしめをしらぬゆへなり。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫 p.35)
天才肌というのはえてしてこういう天真爛漫なものなのかもしれない。人のことを悪く言ったりもしない代わりに、自分がディスられているのにも気付かない。
ひょっとしたら、去来の手紙を本当に『末若葉』のための序文を提供してくれたと思ってたのかもしれない。それで、ちょっと自分の考えに合わない部分を訂正しただけだったのかもしれない。
「しかりといへども、予三神をかけて、相撲を晋子がかたに立ず。また諸案の中、目だつ句有れば、大かた晋子也。かれにおよぶ門弟も見へず。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫 p.35)
「三神」というのは和歌三神(住吉明神・玉津島明神・柿本人麻呂)のことか。とにかく其角と相撲を取るつもりはないという。それだけリスペクトしている。
「なんぞや、亡師の句にたいして、ひとしからんと論ぜらるるは、かへつて高弟のあやまりといはん。予不審あり、師遷化の後、諸門弟の句に秀逸いでざることはいかん。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫 p.35)
何で亡き師芭蕉の句と違うからといってそれを高弟の誤りと言うのか。芭蕉が遷化してから他の門弟にだって秀逸の句はないではないか。
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