2018年8月5日日曜日

 東京医科大の裏口入試と、女子や三浪以上の男子の点数を勝手に減点して入学者を調整していた事件は、日本の入試制度の根幹を脅かすおそれがある。
 日本の高度成長を支えてきたのは、良いにつけ悪いにつけ、入試で良い点さえ取れば誰でも平等に良い大学に入れ、良い就職ができる希望を与えてきたことだった。
 もちろん昔から裏口入学はあったし、私大の学費の高さは貧乏人には厳しいものだった。だけど、今度の事件は入試だけは平等だという幻想を打ち砕くものだ。
 おそらくこれで、実際にやっているかどうかはわからないが、どこでもみんなやっているんじゃないかという疑惑は止められなくなる。そうなると真面目に勉強しても無駄だという意識が広がってくる。
 もちろん、受験勉強はいろいろなゆがみももたらしてきた。自分で考えて自分の手で真理をつかもうとするのではなく、出題者の意図を察知して傾向と対策を練るばかりが重要となり、社会に出てからも、真実はもうとっくに誰かが決めているものだからと、自分から探そうとしなくなる。この世の多くのことに正解なんてないんだということに気付かない。
 特に受験英語は細かな文法に囚われて、実際の会話能力を低下させるもととなっている。
 これを機に社会全体が受験の優等生よりも、しっかりと自分で考え行動する能力を求めるようになれば、それはそれでいいのだが、全体としての学習意欲の低下になれば、日本の将来に決して良い影響を与えない。
 さて、それでは「秋ちかき」の巻の続き。

 十一句目。

   うぢうぢ蚤のせせるひとりね
 仏壇の障子に月のさしかかり   惟然

 仏壇は元禄の頃から今のような豪華なものが作られるようになったという。ただ、こうした仏殿に障子はないので、仏壇の置かれている仏間の障子ではないかと思う。
 大きな屋敷であれば仏間は家の奥にあるが、蚤に刺されながら一人寝するような小さな家では、仏間の障子にまで月の光が差し込んでくる。
 当時の仏壇や位牌の庶民への普及を詠んだ釈教の句といえよう。それ以前は持仏を厨子に入れて安置していた。

 十二句目。

   仏壇の障子に月のさしかかり
 梁から弓のおつる秋風      支考

 昔は神仏習合だったので、仏間の梁には破魔弓が飾られてたりしたのだろう。仏壇に月、破魔弓に風の相対付けで神祇に転じる。

 十三句目。

   梁から弓のおつる秋風
 八朔の礼はそこそこ仕廻けり   木節

 「八朔」はウィキペディアによれば、

 「八朔(はっさく)とは八月朔日の略で、旧暦の8月1日のことである。
 新暦では8月25日ごろから9月23日ごろまでを移動する(秋分が旧暦8月中なので、早ければその29日前、遅ければ秋分当日となる)。
 この頃、早稲の穂が実るので、農民の間で初穂を恩人などに贈る風習が古くからあった。このことから、田の実の節句ともいう。この「たのみ」を「頼み」にかけ、武家や公家の間でも、日頃お世話になっている(頼み合っている)人に、その恩を感謝する意味で贈り物をするようになった。」

という。
 前句の弓を破魔弓ではなく武家の梁に置かれた和弓のことにする。それが落ちるほどの激しい秋風は台風の影響だろう。八朔の礼もそこそこに仕廻(しまい)にする。
 コトバンクの「大辞林 第三版の解説」の八朔の項に、

 ②  陰暦八月一日前後に吹く強い風。

とある。

 十四句目。

   八朔の礼はそこそこ仕廻けり
 舟荷の鯖の時分はづるる     芭蕉

 鯖は秋が旬。「秋サバは嫁に食わすな」という諺もある。本来は八朔の頃から取れ始めるのだろうけど、この年はまだ鯖が上がってこなくて、八朔の礼もメインの鯖がなければとそこそこにすませる。

 十五句目。

   舟荷の鯖の時分はづるる
 西美濃は地卑に水の出る所    支考

 西美濃は、「大垣地方ポータルサイト西美濃」によると、

 「「西美濃」は、日本列島のほぼ中央、岐阜県の西部に位置しています。揖斐川・長良川・木曽川の3つの川によってつくらえた濃尾平野が広がっており、一方は揖斐川源流部の山々に囲まれているなど、変化と起伏に富んだ自然が特徴です。」

とある。大垣市を中心とする岐阜県の西部で、西濃運輸の本部も大垣にある。
 「地卑(ちひく)」は『易経』繋辞傳の言葉で、「天尊地卑、乾坤定矣。(天はたかく地はひくく、乾坤定まる)」から来ている。
 このあたりは支考にも馴染みのある土地だろう。平野だが北と西は1500メートル前後の山で囲まれ、豊かな水源となっている。有名な養老の滝もある。
 よい所ではあるが、海からやや離れているため、新鮮な鯖は食べられなかったようだ。この頃はまだバッテラはなく、なれ寿司にしていた。当然それだけ時間が経っている。

 十六句目。

   西美濃は地卑に水の出る所
 持寄にする医者の草庵      惟然

 西美濃は良い所だから病気になる人もなく、医者が儲からないということか。医者の草庵を尋ねるときは、みんな各々食料を持ち寄っていかねばならない。

 十七句目。

   持寄にする医者の草庵
 結かけて細縄たらぬ花の垣    木節

 「花の垣」は桜でできた垣根ではなく、垣根の上に桜が咲いているという意味だろう。やや放り込み気味の「花」だ。
 垣は竹垣だと思われるが、縄が足らずに途中までで未完成になっている。貧しい医者の草庵から言い興したと思われる。

 十八句目。

   結かけて細縄たらぬ花の垣
 足袋ぬいで干す昼のかげろふ   支考

 縄が足りなくなったので作業は一時中断。足袋を脱いで作りかけの垣に干しておく。昼の日差しの強さから陽炎を添える。

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