2018年8月1日水曜日

 また暑さが戻ってきて、行暑いと何もかも面倒になるし、多分水無月の俳諧興行が少なかったのもそういう理由なのだろう。

 水無月も鼻つきあはす數奇屋哉   凡兆

の句は茶席だったが、『奥の細道』でも初夏の頃は盛んに興行が行われていたが、出羽三山の頃から何日も掛けて一巻を仕上げることが多く、出雲崎の七月六日の興行も途中で終っている。暑さで芭蕉の体調が悪化したことも原因だったようだが、暑さで一般的に興行が盛り上がらない時期なのかもしれない。
 「破風口に」の巻も、そういうわけか、かなり日数を費やしている。
 そういう中で、元禄七年は閏五月が入り水無月が遅かったせいか、水無月の半ばから盛んに興行が行われている。
 そういうわけで、そろそろまた俳諧を読んで行こうと思う。今日は旧暦の六月二十日。元禄七年の六月二十一日には大津の木節庵で、

 秋ちかき心の寄や四畳半     芭蕉

を発句とした興行が行われている。連衆は芭蕉、木節、惟然、支考の四人。木節はこのあと芭蕉を看取ることになる医者だ。
 秋も近くようやく涼しくなると、何となくこうして部屋で身を寄せ合ってという気分にもなる。そういうわけでみんなよろしくと、挨拶の一句となる。
 主人である木節はこう答える。

   秋ちかき心の寄や四畳半
 しどろにふせる撫子の露     木節

 「しどろ」は現在では「しどろもどろ」という言葉に名残をとどめているが、秩序なく乱れたさまを言う。「しどけなし」も同じで、否定の言葉があっても同じ意味になるのは、「はしたに」「はしたなし」の例もある。今日でも「なにげに」「なにげなく」の例がある。
 秋が近いとはいえ撫子も暑さで元気がなく、そこに露が降りるところに秋が近いのが感じられる。
 秋が近いとはいい、集まった連衆のばてた様子がおかしくて「しどろにふせる」という言葉が出てきたのだろう。
 発句の「心の寄や」をうけて、そんなことないです。「しどろもどろです」という謙遜の意味もあったと思われる。
 そして惟然が第三を付ける。

   しどろにふせる撫子の露
 月残る夜ぶりの火影打消て    惟然

 前句の露を朝露として、明け方の景色に月を添える。
 「夜ぶり」はgoo辞書の「デジタル大辞泉(小学館)」に、

 「夏の夜、カンテラやたいまつをともし、寄ってくる魚をとること。火振り。《季 夏》「雨後の月誰 (た) そや―の脛 (はぎ) 白き/蕪村」

とある。漁火と違うのは、漁火が船で灯すのに対し、夜ぶりは地上で灯す。蕪村の句は夜ぶりの火に照らし出された白い脛が、日に焼けた漁師や農夫のものではないな、ということか。蕪村のことだから若い娘でも見つけたか。蕪村のいい所はこういう性的マジョリティーの好みを的確に捉えているところだ。
 夜ぶりの火影(ほかげ)も消えて月残る朝に撫子の露がきらきらしている。
 四句目。

   月残る夜ぶりの火影打消て
 起ると沢に下るしらさぎ     支考

 魚を取る村人が去っていった後、目を覚ました白鷺が沢に下りてきて、魚を取り始める。「夜ぶり」に「しらさぎ」とどちらも魚取りというところでまとめるのは、支考一流の響き付けといっていいだろう。

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