また暑さが戻ってきて、行暑いと何もかも面倒になるし、多分水無月の俳諧興行が少なかったのもそういう理由なのだろう。
水無月も鼻つきあはす數奇屋哉 凡兆
の句は茶席だったが、『奥の細道』でも初夏の頃は盛んに興行が行われていたが、出羽三山の頃から何日も掛けて一巻を仕上げることが多く、出雲崎の七月六日の興行も途中で終っている。暑さで芭蕉の体調が悪化したことも原因だったようだが、暑さで一般的に興行が盛り上がらない時期なのかもしれない。
「破風口に」の巻も、そういうわけか、かなり日数を費やしている。
そういう中で、元禄七年は閏五月が入り水無月が遅かったせいか、水無月の半ばから盛んに興行が行われている。
そういうわけで、そろそろまた俳諧を読んで行こうと思う。今日は旧暦の六月二十日。元禄七年の六月二十一日には大津の木節庵で、
秋ちかき心の寄や四畳半 芭蕉
を発句とした興行が行われている。連衆は芭蕉、木節、惟然、支考の四人。木節はこのあと芭蕉を看取ることになる医者だ。
秋も近くようやく涼しくなると、何となくこうして部屋で身を寄せ合ってという気分にもなる。そういうわけでみんなよろしくと、挨拶の一句となる。
主人である木節はこう答える。
秋ちかき心の寄や四畳半
しどろにふせる撫子の露 木節
「しどろ」は現在では「しどろもどろ」という言葉に名残をとどめているが、秩序なく乱れたさまを言う。「しどけなし」も同じで、否定の言葉があっても同じ意味になるのは、「はしたに」「はしたなし」の例もある。今日でも「なにげに」「なにげなく」の例がある。
秋が近いとはいえ撫子も暑さで元気がなく、そこに露が降りるところに秋が近いのが感じられる。
秋が近いとはいい、集まった連衆のばてた様子がおかしくて「しどろにふせる」という言葉が出てきたのだろう。
発句の「心の寄や」をうけて、そんなことないです。「しどろもどろです」という謙遜の意味もあったと思われる。
そして惟然が第三を付ける。
しどろにふせる撫子の露
月残る夜ぶりの火影打消て 惟然
前句の露を朝露として、明け方の景色に月を添える。
「夜ぶり」はgoo辞書の「デジタル大辞泉(小学館)」に、
「夏の夜、カンテラやたいまつをともし、寄ってくる魚をとること。火振り。《季 夏》「雨後の月誰 (た) そや―の脛 (はぎ) 白き/蕪村」
とある。漁火と違うのは、漁火が船で灯すのに対し、夜ぶりは地上で灯す。蕪村の句は夜ぶりの火に照らし出された白い脛が、日に焼けた漁師や農夫のものではないな、ということか。蕪村のことだから若い娘でも見つけたか。蕪村のいい所はこういう性的マジョリティーの好みを的確に捉えているところだ。
夜ぶりの火影(ほかげ)も消えて月残る朝に撫子の露がきらきらしている。
四句目。
月残る夜ぶりの火影打消て
起ると沢に下るしらさぎ 支考
魚を取る村人が去っていった後、目を覚ました白鷺が沢に下りてきて、魚を取り始める。「夜ぶり」に「しらさぎ」とどちらも魚取りというところでまとめるのは、支考一流の響き付けといっていいだろう。
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