2018年8月28日火曜日

 ヤノベケンジさんの「サン・チャイルド」は、本人も明らかに政治的な意図で作成したのだろうし、単なるSFのキャラクターで済ませるわけには行かない。
 特にそれが福島の一つの象徴になってしまうと、防護服はいかにも危険地帯であるかのような錯覚を生むし、それこそここは危険なところだということを世界に宣伝することになる。とにかくあまりあちこちに建てて欲しくはない。
 こんなことを言うとわざとやりたくなる人もいるだろうけど。

 それでは『俳諧問答』の続き。

 「みずからおよぶべからざることは、書に筆し、くちに言へり。
 しかれどもその詠草をかへり見れば、不易の句におゐては、すこぶる奇妙をふるへり。流行の句にいたりては、近来そのおもむきをうしなへり。
 ことに角子は世上の宗匠、蕉門の高弟なり。かへつて吟跡の師とひとしからざる、諸生のまよひ、同門のうらみすくなからず。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫 p.32)

 本来芭蕉の不易流行の不易はあらゆる芸術の根底にあるような人を人たらしめているような普遍性の高いものだったが、去来にとって不易はむしろ「伝統」と言った方がいいのだろう。
 これに対して流行は今まさに創造しようとしているものではなく、今の時代を詠んだものくらいの意味しかないように思える。
 『去来抄』「修行教」には、不易の句は、

 「魯町曰、不易の句はいかに。去来曰、不易の句は俳諧の体にして、いまだ一の物数寄なき句也。一時の物数寄なきゆへに古今に叶へり。」(岩波文庫『去来抄・三冊子・旅寝論』P,62)

とある。
 そして、流行の句に関しては、

 「魯町曰、流行の句はいかに。去来曰、流行の句は己に一ツの物数寄有て時行也(はやるなり)。形容衣裳器物に至る迄まで、時々のはやりあるがごとし。」(岩波文庫『去来抄・三冊子・旅寝論』P,62)

 「物数寄」という言葉は中世には連歌や茶道に入れ込むことを言っていたようだが、江戸時代になると趣味も多様化し、形容衣裳器物もその時その時の流行があり、それを追いかけるのを物数寄と呼んでいるようだ。
 その「物数寄」がないのが不易の句で、「物数寄」があるのが流行の句だという。
 まあ、要するに昔からあるものを昔ながらのスタイルで詠んだものを不易の句といい、最近はやる物を最近の流行の仕方で詠んだものが流行の句ということか。
 この基準だと、「不易の句におゐては、すこぶる奇妙をふるへり」というのは、

 饅頭で人を尋ねよ山ざくら   其角(「韻塞」)
 楠の鎧ぬがれしぼたんかな   同 (「韻塞」)
 なよ竹の末葉残して紙のぼり  同 (「韻塞」)
 月影やここ住よしの佃島    同 (「韻塞」)

といった句か。
 「流行の句にいたりては、近来そのおもむきをうしなへり」というのは、

 いつとろに袷になるや黒木売  其角(「韻塞」)
 越後屋に衣さく音や更衣    其角(「浮世の北」)
 竹と見て鶯来たり竹虎落    其角(「菊の香」)
 扇的花火たてたる扈従かな   其角(「皮籠摺」)

といったような句か。
 別にそんな悪い句とは思わないが、むしろ去来の側に芭蕉の古くからの高弟で去来自身も師と崇めてきた其角だけに、期待するものが大きすぎたのかもしれない。

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