『俳諧問答』の続き。
「たまたま一時の流行に秀たるものは、ただおのれが口質のときに逢ふのみにて、他日流行の場にいたりて一歩もあゆむことあたはずと。
しりぞいておもふに、其角子は力のおこのふことあたはざるものにあらず。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫 p.32)
「口質」は「くちぐせ」と読む。『三冊子』「あかさうし」に「是に押移らずと云は、一端の流行に口質時を得たる計にて、その誠をせめざる故也」とあり、『去来抄』「修行教」には「一句にしほりの有様に作すべしと也。是は作者の気性と口質とによりて也」とある。
今日でいう口癖というよりは、むしろ「言語感覚」に近いかもしれない。その時その時のはやりの言語感覚というのは、コピーライティングでも作詞でもあったほうがいいに違いない。
言葉は時代によって変わるとはいえ、たくさんの流行語が次々に作られても定着するものは少ない。「チョベリバ」は九十年代後半の若者の言語感覚にはアピールするものがあっただろうけど、あっという間に使われなくなった。
俳諧でも、その時は受けた言葉遣いも、何年か経ってすっかり古くなってしまうことがあったのかもしれない。
言語が時とともに変化してゆくように、ある時代にもてはやされた言語感覚も、若い世代が台頭してくると次第に親父臭くなる。だから言語感覚だけで売っていると、やがて古くなる。作詞家やコピーライターでも年取ってなお流行の最前線にいられる人はほとんどいない。
芭蕉もまた元禄六年の歳旦で自嘲気味に、
年々や猿に着せたる猿の面 芭蕉
の句を詠んでいる。芭蕉も必死に流行についていこうとしてたけど、自分でも無理していると思ってたようだ。
去来も其角より十も年上だから、自分はまだ流行に乗ってるようなふりをしているけど、かなり無理をしてるのではないか。自分が無理をしているだけに、無理をしない其角がどうにも気になってしょうがないのだろう。
流行には二つの側面があると思う。
一つは進化の過程としての流行。もう一つは世の中の移り変わりに伴う外見上の流行。
たとえばロックがロカビリーの流行から始まり、プレスリーが一世を風靡し、そしてビートルズが世界的な現象となり、ついで、プログレ、グラム、ハードロックなど次々と流行し、パンクは一度プリミティブな所に回帰し、ニューウェーブ、テクノ、アバンギャルド、オルタナ、グランジ、ポストロックといった流れを生んでいった。パンクと同時期にハードロックの延長線上に登場したヘビーメタルは、やがてブラックメタル、デスメタル、スラッシュメタル、ドゥームメタル、フォークメタルなどいろいろなものを生み出していった。
ロックは一方で黒人文化にも影響を与え、ソウルからヒップホップへのもう一つの流れを作った。それはしばしば白人文化と融合して、クロスオーバー、フュージョン、ミクスチャーを生んだ。
これは進化と適応放散であり、一つの芸術のジャンルが驚くべき多様性へと発展を遂げた例で、「ナウな」が「ナウい」になって「今い」だとか「トレンディ」だとか「トレンドな」だとか言葉だけ変わってくような流行とは異なる。
芭蕉が流行の最前線にいたのは、俳諧の進化の過程での流行で、表面的な言葉の流行ではない。そういう意味でも去来が其角に対して言おうとしていることは、的外れとしかいいようがない。
俳諧の進化も直線的なものではない。様々な方向に枝分かれし、適応放散してゆくのが進化の自然なあり方だ。
「且つ才麿・一晶のともがらのごとく、おのれが管見に息づきて、道をかぎり、師を損ずるたぐひにあらず。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫 p.32)
蕉門の側から見れば才麿・一晶は「師を損ずる」かもしれないが、俳諧の発展の方向は一つではない。一晶はともかく、才麿は大阪談林を牽引し、その自由でやや通俗的な作風は蕪村にも受け継がれたと思う。長い目で見るなら、今日の関西の笑いに基礎を作ったといってもいいかもしれない。
適応放散という点では其角が切り開いた点取り俳諧もまた、川柳点へのもう一つの流れを作っているし、ある意味近代の「ホトトギス」以降の俳句誌の手法も点取り俳諧の流れを引いている。
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